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『江戸の醍醐味』 荒俣宏

江戸の醍醐味
江戸の醍醐味
posted with amazlet at 10.08.17
荒俣宏
光文社

 わたしの憧れである「博覧強記」の見本のような荒俣さんが、ロイヤルパークホテル季刊誌に「日本橋・人形町異聞」として連載されたコラムをまとめられた本です。

 今でこそ日本橋は老舗が並ぶ街ですが、そんなお店のほとんどが、最初はみんなベンチャー企業だったのだという荒俣さんの解釈はとても面白いんです。

 たとえば鰹節ですが、元々はカビが付きやすくて運ぶ途中で傷みやすかったものだったのだそうです。そんなカビの中に良質なものを見つけ、徹底的に水分や脂肪を吸いだすことによって、より澄んだダシが取れる鰹節を作り、これを江戸で売りさばいたのが「にんべん」なんだそうです。今や普通になってしまった「フレッシュパック」という削り節を開発したのもこちらなんだそうです。

 今では余り見なくなりましたが、赤い縁取りの付いた緑色の蚊帳って、「西川」に二代目が作った大ヒット商品なんだそうです。

 江戸時代に、それまではお茶と言えば抹茶しかなかったところへ、「煎茶」という新しいスタイルを導入し、更に「玉露」という高級煎茶を売り出したのが「山本山」なんですって!

 日本人に無くてはならないものの多くが、日本橋生まれだったのですねぇ!

 昭和初期の両国広小路(現在の東日本橋2丁目)の写真が載っていたのですが、こんなに凄い繁華街だったの?とびっくりしてしまいました。

 現在は両国橋の東側(墨田区)だけを両国と呼んでますが、かつては両国橋の両側を両国と呼んでいたのです。(これに関しては、日本橋バビロンに詳しく書かれています)

 西側(中央区)の両国は、そんなに立派な繁華街だったという面影は殆ど残っていません。柳橋や薬研堀がかろうじて残っている程度です。

 我家から日本橋まで約5km、こんなに近くに住んでいながら、知らないことがまだまだたくさんありますねぇ。

1213冊目(今年91冊目)☆☆☆☆☆

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コメント

今と昔では繁華街が全く違ってしまいましたね。きっと大平洋戦争を機に変わってしまったのではないでしょうか?

東京は西へ西へと発展してしまって。それは東側が空襲で大きな被害があったからかな…とうすぼんやり思っています。

日本橋の老舗が江戸のベンチャー企業という視点は荒俣氏らしいですし、とてもわかりやすいです。この本、読みます。

ゆみりんこさん☆こんばんは
水路による荷物の運搬が盛んだった江戸時代に、日本橋にはいろんなものが集まってきました。
明治以降も地下鉄やエレベーターなど、新しいものはすべて日本橋からだったんですよね。
おしゃれな街は東京の西側というイメージが強くなってしまいましたが、日本橋や銀座にもっと頑張ってもらいたいものだと、わたしは願っています。
この本を読んだら、その感想も教えてくださいね!

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