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『人は、,なぜ約束の時間に遅れるのか』 島宗 理

 すべての行動には原因があります。「なぜ約束の時間に遅れるのか?」「なぜ傘を置き忘れるのか?」「なぜダイエットにがうまくいかないのか?」といった問題について原因を辿っていくと、何らかの原因が見つかります。

 その原因を修正すれば失敗しなくなるはずなのに、また同じ失敗を繰り返してしまうのはなぜなのでしょう?

 たとえば、電車に傘を置き忘れる原因を考えてみると、電車に乗っても座れなかった場合には傘の置き忘れはほとんどありません。座席に座れて傘を手すりに掛けることができた場合に、置き忘れが発生しやすくなります。

 膝の上に置いた荷物なら、たとえその存在を忘れていたとしても、立ち上がって荷物が膝から落ちた時点で気が付きます。しかし自分から離れた場所に置いた傘の存在は忘れてしまいがちなのです。

 特に、雨が止んでしまって、なおかつ傘が安いビニール傘だったりすると、益々忘れる確率が上がります。その時は一応反省したとしても、大した問題ではないという意識がある限り、また繰り返してしまうのです。

 席から立つときに傘を持つという意識を強く持とうと思っても、それはなかなかできません。「やろうとは思ったんだよ、だけど忘れちゃったんだ」という言い訳が残るのみなのです。

 だったら、わざわざ掴むという手順を無くせばいいんですよね。傘を必ずカバンに引っかけておくとか、常に折り畳み傘を使ようにして、電車に乗るときはビニール袋に入れてカバンにしまってしまうとか。傘に対しての意識があるうちに処理してしまえばいいのです。

 でも、普段の生活の中ではそういう事って考えないんですよ。だから忘れ続けるんです。自分は大丈夫だって、なぜか信じてしまっているんです。一番信用できないのが自分なのにね!

 自分の失敗パターンを分析していくと、色んなことが分かってきます。自分は何に依存しているのか、口では「あれをやらなきゃ!」って言っていても、心からそう思ってはいないから、めんどくさいなという意識が働いて、できないのだとか。

 江戸時代には、すれ違う時にはお互いに右肩を引き、斜めになって道を譲りあう「肩引き」や、ぶつかりそうなら「すいません」とあやまったりしていました。こういう動作を「江戸しぐさ」というのだそうです。

 江戸の町では、江戸しぐさが身についていない人は「野暮天」とみなされ、尊敬されなかったそうである(本文より

 今の東京では、こういう動作が身についている人が少なくなりました。人にぶつかっても謝りもせず、狭い道の真ん中で立ち話をし、混んだ電車の中で大きな声で電話をし、自分の周りに他人がいるという意識が限りなく薄くなっています。

 そんな意識を持たなくても生きていける世の中になったのか、それとも人と関わることを面倒くさいと思う人が増えたのか、いずれにしても「野暮天」な人が増えると、社会が成立しなくなっていくような気がします。

1278冊目(今年19冊目)☆☆☆☆☆

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