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『新宿で85年、本を売るということ』 永江朗

新宿で85年、本を売るということ

永江朗

 新宿東口の紀伊國屋書店 新宿本店 の歴史を綴った本です。

 新宿駅は栃木県から運んだ薪炭(しんたん)を扱う貨物駅として発足し、付近には薪炭問屋が二十数軒あったのだそうです。初代社長の田辺茂一さんのご実家も薪炭問屋でした。その店の屋号が「紀伊國屋」だったのだそうです。

 茂一さんはこの店の八代目になるはずだったのですが、商売っ気がサラサラない人で、その代わり本が大好きだったのだそうです。昭和2年(1927年)21歳の時に、薪炭問屋の敷地の一部で書店を始めました。

 戦争で店も焼け、何もかも失くしてしまったけれど、戦争から帰ってきた人から「戦地でも、みんな紀伊國屋の名前を知っていたよ」という言葉に勇気づけられ、バラックで書店を再開しました。

 戦争の間自由に本が読めなかった人たちが、紀伊国屋書店に書物を求めて殺到し、今日の紀伊國屋書店につながってきたのです。

 実はわたし、1978年に紀伊國屋書店でバイトをしたことがあるんです。新聞広告でバイト募集を見つけて電話したところ、お店のバイトはもう定員に達したんだけど、別の仕事でも良かったらバイトありますよ。と言われてやったのが図書館に本を納める時に「本の貸出カード」も付けて納品するので、そのカードに書名やコード番号などを書くという仕事だったんです。

 その仕事は東中野の倉庫のようなところで作業してたんですけど、1日だけ新宿本店へ行くことがあって、社員食堂でご飯を食べさせてもらいました。そこから帰ろうとしたとき、廊下でお会いしたんですよ、茂一さんに!とてもとてもラッキーな出来事でした。

 この本の中で、役所や図書館に本を大量に納めていたという話が出てきて、わたしもその一部に関われていたんだなぁって、ちょっと嬉しくなりました。

 わたしが通っていた専門学校が新宿にあったので、当時は紀伊國屋書店にしょっちゅう行ってました。1Fの洋服や雑貨を置いていた店が大好きで、時々ここでも買い物をしてました。裏のアドホックビルにもよく行きました。

 新宿へ行ったら、やっぱり紀伊國屋書店に行かなきゃね!

1681冊目(今年219冊目)

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