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  • ダメでもいいからやれ。
    体験もしないでお前ら、
    すぐに「ダメだ」って言うのは、
    学校で聞いただけの話だろう。
    やってみもせんで何を言っとるか
    (by 本田宗一郎)

読書Love!

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コラム

2019年を振り返って(その他)

 2019年は何かの区切りの年だったような気がします。親しい友人が亡くなり、台風などの天変地異が数多く発生し、社会的にも変な問題が沢山発生しました。

 良かったことと言えば、天皇の即位が無事行われたことと、ラグビー・ワールドカップが想像以上の成功を収めたことくらいでしょうか。

 消費税が上がっても景気は悪くならないなんて、ありえないことを言っている政府とか、いつまでたっても暴力がなくならないスポーツ団体とか、あおり運転やら、老人の暴走、子供に暴力をふるう親、8050問題、いろんな困ったことが山積みな昨今です。

 8050問題(50代の子供を抱えた80代の親)というのも深刻ですけど、わたしの周りでは9060問題が発生しています。親が90代、子が60代、これまではそこそこ元気にやって来た両親が90代に突入し、様々な問題が発生してくるのです。

 最近、これはひどいなぁと思ったのは、役所や銀行へ代理人が書類を提出するときに必要な「委任状」の問題です。90代になると、たとえ認知症になっていなくても、手や指の力が衰えてきて字を書くのがとても大変なことになるのです。委任状も、サインをするだけならばまぁ何とかなるのですが、委任する内容をすべて手書きで書かなければならない役所がある、ということを最近知りました。これは、はっきり言って無理です。

 ある程度体力があれば鉛筆で下書きした上をボールペンでなぞって書いてもらうということも可能ですが、そもそも自分で役所へ足を運べないような老人に、字を沢山書かせるのは無理なのです。そんなこと分かっているはずなのに、自書を求める役所って何を考えているのでしょうか?

 手が不自由になったり、目が見えなくなったり、様々な障害を持った人が誰かに委任するときに、自書で委任状を書くなんて無理だ!ってことをどうして認めてくれないのでしょうか?

 どんどん老人が増えるこれからの日本、変えなければならないことは、余りにも多いのです。いつまでも今までの方法でやっていこうとすることに無理があるのです。どうやったらみんなが楽に生活できるのかを考えるということが、これから大事なことなのかなと思います。

2019年を振り返って(読書篇)

○フィクション

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ニセモノの妻
木漏れ日に泳ぐ魚
ウズタマ
銀河鉄道の父
彼方の友へ
クジラアタマの王様
東京會舘とわたし 上 旧館
わたしの美しい庭

○ノンフィクション

 

 

 

 

 

 

出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと
ショーケン最終章
上野千鶴子が聞く 小笠原先生、ひとりで家で死ねますか?
自閉症の僕が跳びはねる理由

 

 

○コミックス・その他

 

 

 

 

 

 

生きづらいでしたか? 
マンガ エニグマに挑んだ天才数学者 チューリング
大奥 第17巻

 

 今年読んだ本は243冊、NetGalleyJPのおかげで読書量が増えました。ゲラで読めるので、これまで読まなかった作家さんの本を色々読むようになりました。

 今年は書店や本、発達障害、心に関する本を多く読んだなと思います。2020年にはどんな本と出会えるのかしら?

パンとサーカス

 いつもポッドキャストで聞いているピーター・バラカンさんの番組「Tokyo Midtown presents The Lifestyle MUSEUM_vol.609」のゲストは品田英雄さんでした。品田さんは日経BP総研上席研究員で、毎年のトレンド予想をこの番組でお話してくださるのです。

 来年のトレンドとして気になったことばが「パンとサーカス」でした。

パンとサーカス(羅: panem et circenses)は、詩人ユウェナリス(西暦60年 - 130年)が古代ローマ社会の世相を揶揄して詩篇中で使用した表現。権力者から無償で与えられる「パン(=食糧)」と「サーカス(=娯楽)」によって、ローマ市民が政治的盲目に置かれていることを指摘した。パンと見世物ともいう。愚民政策の例えとしてしばしば用いられる名言であり警句である。(Wikipediaより)

 世界が危機に陥っているということを気が付かせないために、庶民には食べ物と楽しみを与えておけば良いという政策なのです。これは正に現在の日本の状態です!

 本当は経済的に破綻しているのに、オリンピックというお祭りで目くらまししようとしているということを、みんな気が付かないようにしようという酷い政策が今の日本で行われているのです。

 こんなヒドイ日本で生きていくにはどうすればいいのか?

 考えるのは今でしょう!

山手線一周ウォーキング(今年は20km)

81755030_2843502872337038_73694652176059  毎年恒例の山手線一周ウォーキングへ行ってきました。これまでは1周40kmで参加していたのですが、今年は一緒に行く友人の体調なども考慮して20kmコースを歩きました。

 代々木駅西口から徒歩5分ほどにある明治神宮北参道がスタートです。朝9時少し前に到着してみると、すでに参加者が十数人集まっていました。上野公園スタートのときには、さぁいくぞ~!という感じの人が多いのですが、犬を連れて参加の人もいて、こちらは何だかのんびりムードです。

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 代々木まではJR中央線各駅停車で行ったのですが、代々木駅の隣の千駄ヶ谷駅にホームが増えていてビックリ!そうか、来年はオリンピックだから、ここで乗り降りする人が沢山いるんだろうなぁ!

 20kmコースの終点は上野公園です。今日はお天気が良かったせいか、観光客が噴水の周りに大勢いました。

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 ここへ来たら、パンダデザインのポストにご挨拶 (^^)v

 意外と気が付かない人が多いけど、上野動物園のすぐ近くにあるんですよ。

 

  せっかく上野へ来たのでアメ横へ寄ってみたら凄い人出で、さっさと退散してきました。

 買い物をしている人も多いけど、居酒屋さんで飲んでいる人の多いこと!日本は平和だねぇ!!

NHK最後の授業「みうらじゅん」を見て思ったこと

 昨夜、最後の授業「みうらじゅん」の再放送を見ました。

 みうらさんが提示してくる言葉の数々が実に面白いのです。

「老いるショック」
 若い頃には想像もできなかった困難が沢山出てくる中高年ならみんな感じるショックです。何でこんなことができないのか?何でこんなことが起きるのか?自分にガッカリすることがこんなにも発生するなんて、誰も教えてくれなかったよ~!だからこそ同じような体験をした人たちと、「ねっ、そういうことあるよね」と話をするのが大事なんです。自分だけじゃなかったんだと思えるだけで、困ったことが笑いに変わるのです。

「自分なくし」
 自分探しというのが流行ってます。自分は何者なんだろう?自分には何ができるんだろう?自分の価値とは?そういうことを一生懸命に探している人が沢山います。でも、みうらさんは「そんなのやめようよ」というんです。自分探しとは「他人あっての自分」だから、結局は誰かとの比較でしかないというんです。

 みうらさんは、みんなを笑わせながら鋭いことをいうねぇって感心してしまいました。

母のことを思い出した

 わたしは母から褒められた記憶がほとんどない。だからといって、怒られた記憶が多いというわけでもない。

 小学生の頃、通信簿を親に見せるのがイヤだという友達がたくさんいた。でも、わたしはそれがイヤだと思ったことはない。わたしの成績は怒られるような成績ではなかった。むしろ褒められる成績だったと思う。しかし母は褒めてくれなかった。「この程度の成績は当たり前だ。わたしの娘なのだから。」といつも言っていた。その言葉は子供だったわたしにとって冷たく響く言葉だったけれど、母はそう思っていなかったらしい。

 何十年も後になってから、わたしは通信簿について褒めてもらったことはないと母に話をしたら、そうだったかしら?と言われた。きっと母はそんなことを覚えてもいなかったのだろう。

 この間、友達から言葉で傷付けられるのが困るという相談をされた。それは辛いよねという話をしていて、そういえばわたしはそういう目にあったことがほとんどないなぁと思った。それに、周りから「あなたは、あーだこーだ」という事をいわれることがほとんどないなぁと思う。

 どこかオドオドしているところが見える人は、他人から突っ込まれやすい。本当は親切心からなのかもしれないけれど、余計なおせっかいは止めて欲しいと思っても、それをきっぱりとイヤと言えない人は、しょっちゅう突っ込まれる。

 わたしはいつも堂々としていると言われる。自分では気が付かないけれど、どうもそうらしい。だから行動や発言に突っ込まれることはほとんどない。言われても、それがどうしたと思っている。

 こんな性格は母から刷り込まれた「わたしの娘なんだからできて当たり前じゃない」が効いているような気がする。おかげで可愛げのない人になったような気がするけれど、いじめられるよりはずっとましだと思っている。

ホントの自分をみつける

心屋仁之助「ホントの自分を見つけるラジオ」
第184回 最高の人生の見つけ方!? http://podcast6.kiqtas.jp/kokoroya/ を聞いて思ったことを書きます。

 人は自分が求めたものになっていきます。自分は誰からも愛されていないと思えば、誰からも愛されません。自分にはお金がないと思えばお金はどこかへ行ってしまいます。

 そんな風に自覚していること以外に、無意識に自分はこうだと信じていることがあるのです。

 ホントは幸せになりたいはずなのに、自分は幸せじゃないと思っているのは何故か?それは、自分が幸せになってしまって、違う人生が始まってしまうのが怖いから。今の生活を守りたいからなのです。

 今の生活を守りたいから、嫌なことも無理してやって、我慢して、我慢して、休むこともできず、遊ぶこともできず、病気になってしまうのも、自分が求めていることなのです。だって、そこから抜け出そうとしていないのだから。可哀想な、哀れな自分でいる方が楽だから。

 

 そういう人生はイヤだなぁ(-_-;)

 

 つくづく、そう思います。

 

 好きなことをやる。嫌なことはしない。たったそれだけなのよね、仁さん。

人間関係ってムズカシイ

 昨日、友人が突然訪ねてきました。嫌なことがあって、それが積もり積もってどうにもならなくなったので、クチッていい?というので、「モチロン、いいよ。」となったのです。

 それは趣味の集まりでの友達のことです。ある友達(ここではBさんと呼びます)が、ことあるごとに彼女(Aさんと呼びます)に突っ込みを入れてくるのだそうです。

 Aさんはこういう所ができていないから、それを直したらいいのにとBさんは言うのだそうです。Aさんとしては、自分は人よりも覚えが悪いから何にでも時間がかかる。だから、まだまだな状態でそういうことを言われたくないと思っているのです。だから「まだ始めたばかりだから、できるようになるまでちょっと待っててね」と答えるのだけれど、次に会った時にBさんからまた同じことを言われるのがイヤになっちゃうというのです。

 Bさんに悪気がないのは分かるのだけど、Bさんにとっての正義を押し付けられるので、とても息苦しくなる。それをずっと我慢してるとハゲができちゃうというんです。

 Bさんはわたしも知っている人で、とてもまじめな人です。そして、たぶん学習障害がある人です。なので相手に合わせるとか、このくらいにしておこうという加減ができる人ではないのです。だから、止めてねと言われたことに、その場では治すことができても、次に会った時には忘れちゃっているということの繰り返しなのです。

 マトモに相手をしていたらAさんの神経が持たないから、ほどほどに相手して、ムカついたら距離を置くしかないでしょ。っていうのが一般論なんだけど、友人関係ってそれだけじゃやってけないのよねぇ。

 言い方は悪いけど、相手は病気だと思ってあきらめるしかないんじゃない?そういう人だからって割り切れたら、ずっと気持ちは楽になるんじゃない?

 一口に友達っていっても、それぞれ距離感はイロイロだってことを話し合いました。そうだよね、いろんな人がいるんだから、いろんな付き合い方があるのよね。こんなことを言っても大丈夫な人と、大丈夫じゃない人がいるとか、人間関係は難しいねぇ。

 でもさ、こうやって色々話したら、かなりスッキリしたよって彼女は軽やかに帰っていったのでした。

生きるって?

 今年同い年の友達が亡くなりました。彼の生き様を見ていたら、いろいろと考えなければならないことがあるなぁって思えたのです。

 余命いくばくという宣告をされて、でも治療にこだわり続けた彼。ずっと世話をしてきたお姉さん曰く「最後の放射線治療は、かえって死期を早めたような気がする。でも、本人がやりたいっていうから反対はできなかったのよね。」だったのだそうです。

 「死にたくない」ということと「残りの日々をどう過ごすか」を考えた時に、少しでもやり残したことをやり遂げようと思うのか、とにかく生きていたいと思うのか、それとも諦めちゃうのか、それは個人の自由なんですけど、自分がそうなったらどうするんだろう?って考えてみました。

 わたしは「最後はおだやかな日々を過ごすだけでいい」と思っているので、延命措置のたぐいはすべて断るつもりでいます。こんな治療があるよとか、こんな薬があるよって、言ってくる人がいるでしょうけど、そういう声は徹底的に無視しようと思っています。それは何故かと言えば、どんな状況であれ、その状態を招いたのは自分のせいだから。自分の生き方がそうであったのだから、それをそのまま受け入れていこうと思うのです。

 だからこそ、元気な今のうちにやりたいことをやっておかないといけないなって思います。体力がなければ、気力がなければ、やりたいことはできません。

 そして、そういう体力・気力が衰えた後、心がけなければいけないのは「お願い上手」になることだと思うのです。何でも自分でやろうってことができなくなったら、誰かにお願いするしかないんです。そこで意地を張ったってしょうがないのにねぇ、みんな意地張るんだよねぇ!亡くなった友人も、両親もそうでした。

 自分にできない事は、誰かにやってもらえばいいって、たったそれだけのことなんだけど、意外と難しいのは何故なんでしょうね?

わたしがわたしであること、あなたがあなたであること

 以前は毎日ブログを書いていた友人が、1月に2・3回しか更新しなくなっていました。

 最近どうしたのよ?と聞いてみたら、彼女の知人から自身のブログについて「タダの日記じゃない、そんなのじゃダメだよ!」と言われたそうな。

 その言葉が気になって、「ちゃんとした内容のちゃんとした文章を書かなくっちゃ!という思いに囚われてしまって、今までの様に書けなくなってしまったのだと話してくれたのです。

 「えっ、ちゃんとしたって、どんなこと?」と聞いてみると、誰かの役に立つような意味のあることを書かなきゃいけないって言われたんだそうです。

 ちょっと待ってよ、あなたがこれまで書いてきたことは「くだらない意味のないこと」って言われたの?そして、それを信じちゃったの?

 文字に色を付けたり、大きなフォントを使ったりして、無駄な改行を入れて、どっかのブログで見たような形式で書いているのがちゃんとした文章だって言われたわけ?

 と聞いてみたら、そうだというんです。

 じゃぁ、その人は意味のある役に立つ文章を書いてる人なの?

 ?

 そんな人の言うことを信じて落ち込んでるの?

 そうね、誰かの役に立つことって思うと、文章を書くのに時間がかかるの。自分が感じたことを書くだけなら毎日書けるけど、ちゃんとしなけりゃと思うとなかなか書けないの。

 そりゃ、勘違いもはだはだしいよ。あなたのブログを読んでくれる人は、あなたが何に興味を持っているのか、あなたがどんなことをしているかに興味があるからこそ見ているのであって、他人行儀な「これがお役に立つ文章でございます」みたいなものには興味を持たないよ。

 それにさ、あなたは自分が興味があるものにしか目を向けられない人なんだから、それ以外について書けるわけないでしょ!

 あなたがあなたであることをブログという形で表明しているだけなんだから、それでいいんだよ。ブログってのはwebにlogするってことなんだから、何を書こうとブログなんだよ。その内容がどんなものであれ、他人にとやかく言われる筋合いはないんだよ。

 自分が興味を持ったもの、何か感じることがあったこと、それをそのまま書けば、あなたに興味を持つ人はちゃんと見ていてくれる。それだけのことだよ。

 悩んでいた友人は、ニッコリ笑ってくれました。

 そうよね、わたしにはそういうことしかできないもの。自由に書けばいいのよね。

 わたしはわたし、あなたはあなた、誰も同じことはできないんだから、わたしはわたしらしくしていればいいのね!

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