『荒川放水路物語』 絹田幸恵
今年の夏に平井界隈を散歩していたとき「小松川神社」という神社を見つけたんです。そこにあった立看板にこんなことが書かれていました。「かつては地続きであり、香取神社が氏神様だったのだが、荒川放水路によって村が分割され、香取神社は川の向こうとなってしまった。心のより所としての神社を、こちら側にも欲しいという氏子達の嘆願により、この神社ができた。」
荒川放水路のすぐ近くで生まれ、育ったのに、そういう歴史を知らなかったわたしはびっくりしたのです。荒川放水路をはさんで対岸にある平井が、なぜ江戸川区なんだろうと疑問には思っていたのですが、その回答がここにあったのです。
かつて隅田川より東の地域はたびたび洪水にあいました。ですから古い農家では、二階に舟をつっていたりしました。大量に雨が降ったときに、川が細くて排水しきれないのが原因だったのです。そこで、荒川放水路を作ろうという計画ができたのです。
計画は明治44年に決定し、大正2年より工事が始まりました。放水路全体に通水したのが大正13年です。大正12年に関東大震災が発生しました。その時にデマが飛び、朝鮮人が大量に殺されたも、この荒川土手なのです。
現在の小松川橋のあるあたりに「四股」という場所があったのだそうです。千葉街道と行徳街道が交差している所で、両国へ一里、市川へ一里、浅草へ一里、行徳へ一里という、交通の要所だったのです。
子供の頃、「ダムに沈む村」というドキュメンタリーを見たことがありました。それは遠い山の奥の話だななんて思っていたのですが、こんな近くに同じように川の底になってしまった土地があったなんて夢にも思っていなかったのです。
こういう地元の歴史というのは実に面白いものです。ぜひ多くの人に知ってもらいたいなぁと思うのです。
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