『映画で学ぶ!心を揺さぶるコーチング』 鈴木義幸
自分のセルフイメージが揺れてしまうような事態に直面した場合、セルフイメージを「取り戻す」ための情報を脳は自然に集めようとします。「もし・・・」「たら・・・」「れば・・・」しかしそうして集めた情報は「事実」ではありませんから、完全に自分を納得させることはできません。(本文より抜粋)
もし、自分が「もっと若かったら」とか「もしお金をたくさん持ってたら」○○ができるのにって思うようになっていたら、完全にこの症状にはまってしまってるということですよね。そんな言い訳が通用するのは自分に対してだけなのにね。他人事として見れば「若くなくたって、そんなことできるじゃない」って言えるのに、自分のこととなるとどうも逃げてしまうのは、ナゼなんでしょう?
「こんなことをやってみたい」「もし独身ならできたけど」「だけど、家庭があるし」「チャンスがあれば」「やっぱり、そんな夢を見たって」なんていう自分を正当化するサイクルにはまってしまうと、どんどん自分を信じられなくなっていくのが恐いんです。
セルフイメージというのは「他人がこう見ているであろう自分像」ってことですが、それがいつの間にか「人にこう見られたい自分像」にすり替わってしまうんですね。現実の自分と理想の自分が違っているということを、自分は理性ではもちろん分かっているんです。でも、感情的には分かりたくない。できれば「フリをしていたい」という気持ちが、自分の足かせになってしまうんですね。
そんな時に「あなたの真実の姿はこうなんだよ」って誰かが言ってくれて、それを素直に受け止められれば、そんな悪いサイクルから抜けられるんだけど。そんな言葉に耳を傾けられなくなってしまっていたら、永久に抜けられない迷路をさまようことになってしまいますよね。
人を信じること、人の言葉を聞くことができること、そんな人間としての基本的なことが自分の命を救うことになるんですね。自分の周りに信じられる人がいないなんて、そんな悲しいことはありません。それって、周りの人が悪いんでしょうか?そうじゃなくって、自分が素直じゃないだけってことじゃないのかな?素直な人間であり続けることを忘れずにいようと、改めて決心してしまうのです。
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