『脳はなぜ「心」を作ったのか』 前野隆司
「私」(意識)は、意図した習慣や刺激を受けた瞬間を遅れて感じているに過ぎないのに、「意志は無意識よりも前にあるように感じる」と脳に錯覚の決まりが書かれているために、あたかも「私」がはじめに自分でやったことであるかのように、たとえば、指を自ら動かそうと意図したかのように錯覚しているのだ。しかもそのようにリアルに勘違いできるように、脳内では時間調整が行われ、つじつまが合わせられているのだ。(本文より抜粋)
これまで「意識」だと思っていたものは、脳によっていわばでっち上げられたものであり、実際には「無意識」がすべてを決めているというのは、わたしにとって衝撃的な内容でした。自分の「意識」というものへの考え方が180度変わってしまったといってもいい位です。
脳にはいろんなことが記憶されます。「1+1は2である」とか、これは「赤いリンゴである」というような「宣言的記憶」。俗に「体で覚える」と表現される「非宣言的記憶」。「海水浴へいってスイカ割りをした小学生の頃の夏休みの思い出」というような「エピソード記憶」。そのどれもがわたし達の脳の中に納められているんです。
ずっと昔にあったことを、ひょんな事から思い出すって事ありませんか?わたしもこの前、中学時代の友人と話をしていて思い出したんです。同級生の友達の家へ遊びに行って、そこで出されたおやつが「焼きリンゴだった」って話になったんです。「そうそう、焼きリンゴって、生まれて初めて食べたのよ!」「バターで焼いてたよね」「芯をくり抜いてあったよね」なんて記憶がよみがえって来たんです。
そういう、意識はしていない記憶がたくさん頭の中に蓄積されているんですよね。それらが無意識を形成して、現在の意識を作り出しているって考えると、「三つ子の魂百まで」という言葉の重さを感じます。
「私」という意識を作っている無意識。その無意識を作っている脳。哲学というのは脳を考えることなのかな?ウーン、難しい。でも、この本は面白い!
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