『ラスト3分に強くなる50の方法』 中谷彰宏
他人に起こっている不運な出来事は見えにくく、自分に起こっている不幸な出来事はより大きく感じます。だから、自分ばかりに不運な出来事が起こっているような気がするのです。(本文より抜粋)
「ねぇ、聞いてよ!」で始まる会話って、ほとんどの場合いかに自分が可哀想だったかってことの説明ですよね。「寝坊しちゃって、必死になって駅まで走っていったところで定期を忘れたのを気が付いて、今日はホントにいいこと無いわよ!」みたいな話って多いでしょ?
でもね、こういうことって誰にでもあることだし、決して自分だけが可哀想なわけじゃないのよね。もしも同僚が同じような話をしてきたら、どう思う?「そりゃ大変だ!」って思うこともあるけど、たいていの場合は「バーカみたい!」とか「マヌケー!」って位にしか思ってないでしょ?
自分がやったことに対して「わたしがバカでした」ってスタンスであれば面白い話になるのに、可哀想だと思ってねモードだと余計に「バーカ」って気持ちになっちゃうんだなぁ。
そんなものなのよ、他人事だったら「ただの寝坊ジャン!」って話が、自分のことだと「一大事」。どうしてこんなに違うのかなぁ?
そうやって、いつも自分が可哀想って思っているようだったら、イザって時に力がでないんだろうなぁ。「うまくいかなかったのは誰それのセイ」とかいって誤魔化すんだろうななんて思う。
中谷さんも、そういう発想はやめた方がイイっておっしゃってます。いい事も悪いことも、どんな事だって自分が原因ってことを認めることこそが、最後に笑う秘訣なのでしょうね。
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