思い込みを捨てること
この間読んだ「ロボット心理学」に書かれていたことが、どうも気にかかる。
ロボット化された脳は、おなじみのものを求める。しかし、全く同じものでは満足しない。
たとえばハリポタの 「第一巻」を読んだら、それがどんなに面白かったとしても、もう一度「第一巻」を読むことにはさほどの興味は持たない。しかし第二巻にはかなり強度の興味を感じるというのだ。
だから続編だのPart2だのが世の中には多いのだろう。
あるミュージシャンが気に入ったら、よっぽどの事が無い限り新譜を買う。それが小説家であろうと、洋服のブランドであろうと、お気に入りの続編に対して期待を持つのは、人間の脳がそういう構造になっているからだ。
一度気に入ったら、とりあえずもう一回はチェックが入るいうことになる。1回目に満足度があったから2回目が発生する。2回目も良かったら、きっとその後は自動継続ということになっていくのだろう。
安全性や安定性を求めているからこそ、脳のロボット化は発生するのだろうが、逆に言えばマンネリの原因でもある。安全だけど面白くない。確実だけどスリルが無い。何か新しいものを求めたくなる気持ちも絶対に発生するはずだ。
新しいものを求める気持ちと、それができない現実のズレがストレスを発生する。なぜ、わたしは変われないんだろう?と悩む人は確実に増えている。
でも、悩むことができる人にはまだ可能性がある。自分のズレに気が付けているのだから。自分ひとりでは打開は難しいかもしれないが、良いコーチを見つけることができれば修正は可能だ。
問題なのは、安定性を求めることのみに能力を発揮していると、その生活が正しいのだと信じ込んでしまうことはないのだろうか?
今の生活が当たり前だという幻想に囚われてしまっていることに気が付かないというのは、余りにも怖い。
買物中毒や、ブランド中毒、化粧依存症、過食症、アルコール中毒、ニコチン中毒、etc.・・・ 依存症は数限りなくある。でも「わたしなんかマシな方だ」と高をくくっている人の方が世の中には多い。
他人の中毒には気付けるけれど、自分の中毒には気付かない。それがロボット化した脳の怖さだ。
せっかく誰かに「それ変だよ」と突っ込んでもらえても、「わたしの勝手でしょ!」と開き直ってしまっては、せっかくのチャンスを潰してしまう。
ダイエットが必要な身体になってしまったのも、いつもバタバタ忙しい生活をしているのも、リラックスできないのも、すべては自分の思い込みのせいだということに気付くこと、それこそが最初の一歩なのだと思う。
「自分は自分のことを何でも知っている」という思い込みを捨てること、そこからすべてが始まるとわたしは信じている。
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