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『天才はなぜ生まれるのか』 正高信男

天才はなぜ生まれるのか

正高信男

ちくま新書 466

 障害というのは、個々人を比べてみて、その質と量において、誰ひとりとして他の人と同じということがない。だから、それを補おうとする働きもそれぞれで異なってくる。私たちの身体には、機能しない側面がある時、バランスを快復しようとする力がある。その働きがめいめい、量と質において違ってしまうため、障害者ならではの個性が生まれるのである。その力は、健常者の思い及びもしないことをしでかすことがある。すると障害者の方が人間生来の力を出していることになる。(本文より抜粋) 

 

 「健常者の方が能力を出し切れていない」というのは、とても重要な視点です。

 

 何かが足りないから、他の機能が発達するとか、火事場の馬鹿力とか、人間には計り知れない力が潜んでいるはずなのに、それを使えずにいるってもったいないなぁって思います。

 

 この頃、ベストセラーになった小説ってすぐに映画化されることが多いですよね。原作が面白いからって、そのまま映画にしたってうまくいきません。原作のイメージと違うなぁ!ってことが良くあります。小説には映像がない分、想像力を膨らませて楽しんでいる訳ですから、ある意味無限大までイメージを広げられるんですよね。

 

 でも映画の方を先に見てしまうと、そのイメージが先行してしまって、自分でイメージが作れなくなってしまうことがあるんです。前提条件が揃いすぎると、自分で考える余地が少なくなってしまうんです。

 

 むかし、淀川長治さんが「ラジオ洋画劇場」というラジオ番組をやっていらっしゃって、わたしは毎週これを楽しみにしていました。ラジオで映画について毎週1時間話すって、他の方じゃ到底無理なことだと思うんですけど、淀長さんの話は本当に面白かったんです。

 

 その映画を実際に観るよりも、淀長さんの話の方が面白い(!)なんてこともよくありました。

 

 きっと、映像なしの聴覚だけの状態の方が、イメージがより広がっていたのでしょうね。その後もその映画を見ていないにも関わらず、すっかり見たことがある気になってしまっている映画もけっこうあるはずです。

 

 情報がありすぎるなかで、それを受けっぱなしにしていたら、自分の能力を使う余地が無くなってしまうような気がします。情報を集めることばかりに力を使いすぎて、自分を見失ってしまうのが現代社会なのでしょうか。

 

 自分というものがなくなってしまったら、そこに何を加えても仕方がないと思うのです。一度、余計なものを取り払って自分だけになること、そこから何かが始まると思えてきました。

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