『オシムの言葉』 木村元彦
この本を読むまで、わたしはオシム氏のことを「ジェフ・ユナイテッド市原 千葉」の監督ということしか知りませんでした。この本を読み終わって、とても不思議な気持になりました。「どうして、こんなに素晴らしい人が日本にいるんだろう?」
イビツァ・オシムが生まれたのはユーゴスラビア(現在はボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエボです。サラエボのチームでプロ選手としての生活をスタートし、12年間の現役生活の中で、一度もイエロー・カードを受けたことがないほどの、素晴らしい選手だったのだそうです。
日本との最初の縁は東京オリンピックで、日本代表との試合で2ゴールを上げています。
後にユーゴスラビア代表監督となり、90年のワールドカップ・イタリア大会ではベスト8になっています。(その時のメンバーにはピクシー[ドラガン・ストイコビッチ]もいました)
2003年にオシムはジェフ・ユナイテッド市原の監督に就任しました。その時に採用された通訳の間瀬さんの話がとても印象的です。間瀬さんは大学卒業後、海外の様々な国でサッカーをしていたのです。引退後、クロアチア語の通訳になろうと、ザグレブ大学の語学コースで勉強中に、この仕事の面接があり、合格したのです。
彼は最初のうちは「いい通訳」になろうと思っていたようです。でもオシムと行動を共にするうちに、自分もいつかは監督になりたいという夢が湧いてきたそうです。オシムは選手だけでなく、通訳の彼にも素晴らしい指導をしていたということなのですね。
オシムのサッカーは守りよりも攻撃です。技よりもスピードです。とにかく走って、走って、勝つサッカーです。現在の日本のサッカーに一番欠けているのがここじゃないかな?とわたしは思っています。技術でもパワーでもなく、スピードこそが日本サッカーの生きる道だと思うのですが、どうでしょうか?
ワールドカップに出場する23名の代表選手の発表の時、一番どよめきが大きかったのが「巻」の名前が呼ばれたときでした。そして彼の背番号は「11」に決まりました。エース・ナンバーです!
オシムが育てた巻が、ワールドカップ・ドイツ大会でどれだけ活躍してくれるのか、今からとても楽しみです。
Book Crossing BCID:627-3787197
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おはようございます。
全く関係ない書き込みで恐縮なのですが・・・
私のブログにコメント頂戴したのに、スパムコメントと共にうっかり削除してしまったのです。
本当に申し訳ありません!
その謝罪をお伝えしたくで。
すみません。
投稿: 桜井 | 2006年5月31日 (水) 06:48
桜井さん☆おはようございます。
スパム・コメントが多くて困っちゃいますよね。
コメント送り直しました。
これからも、よろしくお願いします。
投稿: Roko | 2006年5月31日 (水) 08:28