『私という病』 中村うさぎ
確かに、私は茨姫だ。ただし童話の茨姫は魔女の呪いによって眠らされ、城の周囲に茨を張り巡らせたのも件の魔女の仕業であるが、私の場合は、城に茨を張り巡らせたのも自分なら、城の奥で「もうひとりの私」を強制的に眠らせているのも自分自身なのだ。そう。私は「眠れる姫」であると同時に、姫に呪いをかけた「魔女」でもあるのだ。 (本文より抜粋)
買い物依存症、美容整形、そしてついにデリヘル嬢体験まで、中村うさぎは何と率直に自分を表現してしまう人なのだろう?余りにもエスカレートしていく彼女の思考の根源を、自分でも分からずに右往左往していた彼女が、ついにその確信に近づいてきたようだ。
中村うさぎは「劣等感」と戦い続けてきた。どうして自分が思い浮かべる理想像になれないのか?どうして自分は他人から認められないのか?どうして自分は美しくないのか?どうして?どうして?
私はバカだから、体験を通してしか、物事を認識できない。体験もせずに理論だけで、隠蔽された現実をくまなく見渡す能力など、私にはないのである。だから、私はまず体験する。体験した後で、自分の肉体や心の声に耳を傾けつつ、その問題を考えてみる。それが、私のやり方だ。
そんなところが中村うさぎの素晴らしい所なのだと思う。わたしも含めた世の中のほとんどの人は、実際にやってみないで結論を出してしまう。ほとんどの場合、何もせずに「無理だ」というか、「そのうちに」と言う。だから、身近な誰かがそれをあっさりやってしまうと、「運が良かった」などと露骨にイヤミを言う。あるいは「あの人だから」と別格化する。そして、それが自分を納得させるための詭弁だということには気付かない。
人間は自分がイメージしたものになるという。逆に言えば、イメージできないものにはなれない。「お金持ちになりたい」とか、「美人になりたい」というような欲望は誰しも持っている。でも、その気持ちをストレートに実行する人はなかなかいない。
そんな自分の気持ちに正直に生きている中村うさぎは、どんどん体験を重ね、自分を苦しめているものの実態を理解しつつある。今まで自分の敵と戦い続けてきたというのに、それがとんでもない勘違いだったということに気付いてきた。自分の足を引っ張っていたのが自分自身だったとは!
この気付きは、実は彼女だけの問題ではなく、すべての人に当てはまることなのだと思う。自分で勝手に決めてしまっている限界。自分で勝手に諦めてしまった夢。自分で勝手に壊してしまった自分の世界。中村うさぎのようにあがくことこそが、自分は何者なのかを見出す唯一の方法なのかもしれない。
わたしには中村うさぎほどの勇気はない。思ったことすべてをやってしまう行動力もない。でも、私の中にも彼女と同じ疑問が渦巻いている。それをクリアにする為には、動き出すしかない。とにかくやってみることの大事さを強く感じる。
やらずに諦めてたまるか!
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