『本能はどこまで本能か』 マーク・S.ブランバーグ
ヒトと動物の行動の起源
早川書房
動物のやることなすことに関して、それを本能のせいでやっていると言うほど簡単なことはない。
「のどが渇いたら水を飲む」「寒いから服を着る」「何故かきれいな人に惹かれてしまう」というような事を、「そりゃ本能だからね」と、これまでのわたしは単純に信じていました。大抵のことは生まれつきそういう風になっているのだと思っていたんです。
この本のタイトルを見たとき、わたしの頭の中に小さな「?」が浮かびました。「どこまでが本能か?」ということは、本能だと思っているものの内、本能ではないものがどのくらいあるんだろう?ってね。
「教わらなくてもできる」とか「お父さんそっくりねぇ」なんて言われる部分って本能が支配している部分が多いと思いがちですよね。でも、それって本当なんだろうか?親子だから顔が似ているとか、人間はみな同じような行動を取るとかっていうのをすべて本能で片付けてしまっていいんだろうか?
この本の著者が繰り返し実証してくれているのは、我々が本能だと思っていたものの内、ほとんどのものが成長過程で学習したパターンなのであるということなのです。顔や姿は生んだ親に似るけれど、思考パターンや行動パターンは、育てた親の模倣でしかないというのです。
子供のときに与えられた食物や環境、育った地域の慣習などが一人の人間を形作って行きます。たとえば親が好きな食べ物だから、子供にも与えます。そして子供はその食べ物が好きになります。親が阪神タイガースファンなら、赤ちゃんのときから「六甲おろし」を聞いて育ってます。この子は自動的にタイガースファンになりますよね。
そのように、いろんなことが子供のころに刷り込まれているのだけれど、それは決して意識的に行われているわけではないので、あたかも本能であるかのように認識されてしまうというわけです。
これを逆に考えてみると、「わたしって生まれつきドン臭いから」とか「そんなことできない」と思っていることって、単なる刷り込みでしかないと考えることもできます。実は、子供のころに親から「そんなこと止めなさい」と言われ続けた為に、そういう風にしか考えられなくなっているんじゃないかってね!
自分で考えているつもりでいても、実はそれが誰かの受け売りでしかないのかもしれません。そう考えてみると、「わたしってこんな人だから」と決め付けてしまうことが一番怖いことのような気がしてきました。知らないうちに手枷足枷を自分自身で付けてしまっているのかもしれません。
どんな人でも、どんな環境でも、幾つになっても、人間には限界なんてないはずです。限界を作っているのは自分自身の心(思い込み)なのだと思えてきました。
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