ブログ内検索


  • ダメでもいいからやれ。
    体験もしないでお前ら、
    すぐに「ダメだ」って言うのは、
    学校で聞いただけの話だろう。
    やってみもせんで何を言っとるか
    (by 本田宗一郎)

読書Love!

  • 本が好き!
  • NetGalleyJP
    プロフェッショナルな読者
    グッドレビュアー 100作品のレビュー 80%

« 『北欧のかわいいデザインたち』 pieni kauppa | トップページ | 『速読勉強術 限られた時間で差をつける!』 宇都出雅巳 »

明治の私鉄と産業発展

Photo_4  汐留にある 「旧新橋停車場 "鉄道歴史展示室"」で開催されている「明治の私鉄と産業発展 日本鉄道+甲武鉄道+総武鉄道」という展示を見に行ってきました。

 都内を走っている山手線や中央線などのJRの列車は、かつては国鉄だったわけですが、これらすべてが最初から国有鉄道だったわけではありません。

 最初は民間鉄道として作られたものが、国の政策によって国有化され、現在のような大規模な路線となったのです。この展覧会で取り上げられているのは、そういった旧私鉄の歴史です。

 総武鉄道は、現在の総武線とほぼ同じ範囲だし名前も同じなので、比較的分かりやすいのですが、日本鉄道と甲武鉄道に関しては、その存在は忘れられてしまっています。

 総武鉄道は、1894年に市川~佐倉間で開業し、千葉(上総・下総)と東京(武蔵)をつなぐので、総武という名称になったのです。同年12月に江戸川を越えて本所(現在の錦糸町)に達し、1904年に両国橋(現在の両国)までの路線となったのです。

 そういえば、わたしが子供のころは、千葉に海水浴へ行くときは両国から電車に乗ったものです。(現在は東京始発)こういう歴史があったとは、今頃になって両国発の列車があった意味が分かりました。

 日本鉄道は1881年に創立され、現在の高崎線、東北本線、常磐線などを運営していました。現在のJR東日本の大部分をこの会社が作っています。1906年公布の鉄道国有法によって国有化されるまで、規模的には日本一の鉄道会社でした。

 甲武鉄道は、東京(武蔵)と甲府(甲斐)を結ぶという意味で名付けられました。1889年に新宿~立川間で開業し、1904年までに、御茶ノ水~八王子が開通しました。それまで蒸気機関車が主流だったのですが、電車を採用したのは、この甲武鉄道が最初なのです。そして、この線も1906年に国有化され、現在の中央線となったのです。

Photo_52  1912年に、さらに伸びて万世橋駅の営業を開始しました。開設当時は大ターミナル駅として栄華を誇ったこの駅ですが、十数年後にできた東京駅にその座を奪われ、更に関東大震災で壊れてしまった事もあり、駅としての機能はなくなってしまいました。その後この駅は昨年まで交通博物館として使用されていました。

 わたしはこの数年、この万世橋駅に心を奪われているんです。余りにも資料が少ないので、この駅に関する情報をいろいろと探しているのですが、なかなか見つかりません。(^_^;)

 今回の展示でも、この駅についての資料がないかと思って行ってみたのですが、殆ど見つかりませんでした。

 家の近所の図書館で見つけたこの本に、少しだけ説明が載っていたのですが、やっぱり古い本を探すしかないなぁって思っています。

« 『北欧のかわいいデザインたち』 pieni kauppa | トップページ | 『速読勉強術 限られた時間で差をつける!』 宇都出雅巳 »

旅・散歩・鉄道」カテゴリの記事

イベント・展覧会・セミナー」カテゴリの記事

コメント

これはとても興味深いですね♪
こういうお話大好きです。
以前奈良の「大仏駅」をウィキペディアで調べたことがあったので、万世橋駅も調べてみました。
もうトライされたかもしれませんが、一応URL残しておきますね★
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E4%B8%96%E6%A9%8B%E9%A7%85

あ~すみません。URLがうまく画面に出ないようなので、ウィキペディアのTOPのURLを残します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

やぎっちょさん☆Wikipedia 見ましたよ!
"大仏駅"というのも幻の駅だったんですね。( ..)φ
こういう歴史って面白いですよね。(*^_^*)

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 明治の私鉄と産業発展:

« 『北欧のかわいいデザインたち』 pieni kauppa | トップページ | 『速読勉強術 限られた時間で差をつける!』 宇都出雅巳 »