『ヘンリ・ライクロフトの私記』 ギッシング
ところが彼(農民)の子供たちは、新聞を読むことを教えられ、やたらとあわてふためいて約束の地、つまりその新聞が印刷されている大都会ロンドンへと出奔していく。何かがまったく狂っていることは、伝道者に教えられるまでもなく明らかである。その対策も、まだどの予言者も示してはおらない。農業は今まではなはだ雄弁に讃美されてきたが、それも大部分はむなしい言葉にすぎず、いわば、やっきとなってウソを実証しようとしてきたにすぎない。(本文より)
この本の一部が初めて発表されたのは1902年。それから100年も経っているというのに、世の中はちっとも変わっていないのだなぁと思わせる一節です。
読書の腕前 で紹介されていたこの本、これぞ読書人の理想の生活だなぁって思います。自然に囲まれ、誰にも邪魔されず、読書に集中できる生活っていいなぁ!
ヘンリ・ライクロフトという人が本当にいたんじゃないかと思えるほど、この本で描かれている主人公の生活は生き生きとしていました。それまで暮らしていたロンドンを離れ、南イングランドの片田舎で暮らす様子には、羨ましさすら感じてしまうのです。
日常の細かいことはほとんど家政婦さんに任せて、読書と散歩の毎日だなんて、なんてステキなんでしょう!
周りの人からは、頑固で変わり者だと思われていたかもしれないけれど、田舎での気ままな一人暮らしは本当に楽しそうです。友達に寒い時期だけでもロンドンに戻ればいいのにと言われても、そんな気にはならないと言い放つライクロフト氏は、本当の幸せを手に入れたんでしょうね。
都会に憧れ、都会にしがみつくからこそ、お金に苦しめられるのだとライクロフト氏は語っているのですが、それは著者のギッシングの心の叫びなのかなぁ?なんて思えてきました。
ライクロフト氏のような田舎での生活に憧れちゃいますが、わたしにはまだムリだなぁ。いくらでも時間があると思ったら、かえって本を読めなくなるような気がするんです。忙しい時間の合間に読むからこそ読書が楽しいのかも?なんてね。
友達と話したり、映画を見に行ったりなんてことも、わたしにとっては大事な時間です。だから、わたしにとっての自由な場所とは、今自分がいる場所なのだと思うのです。心の安らぎは、誰かに与えられるものではなく、自分が決めるものですもの。
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Rokoさん、こんにちは~。
忙しい時間の合間に読むからこそっていうのは
確かにあるかもしれないですね。
私の場合、本を読む楽しみは変わらないと思うんですが
忙しい合間を縫って読む方が、読むことに対して貪欲になって
結果的に量も増えそうです。
のんびりした生活だと、やっぱりライクロフトみたいな
のんびり再読、というのが向いてるのかも。
今は今の生活が幸せなんですが、
老後はライクロフトみたいな生活が憧れです~。
投稿: 四季 | 2007年8月 5日 (日) 07:57
四季さん☆こんにちは
ライクロフト氏のような、のんびりした生活を送れる身分になっても、わたしはやっぱりセカセカしちゃうかなぁ?なんて思います。(#^.^#)
それもまた、しゃぁないか?
投稿: Roko | 2007年8月 5日 (日) 09:45