『フリーペーパーの衝撃』 稲垣太郎
現在日本では1200紙誌、年間3億部近いフリーペーパーが発行され、雑誌タイプを中心になおも創刊ラッシュが続いている。(本文より)
本以外のもので最近読んでいるものは、ほとんどがフリーペーパーです。R25、L25、シティリビング、ぱど、アエルデ、その他にも 地下鉄やデパートの広報誌などいろいろありますね。
食べること、遊ぶことがメインテーマとなっているものが多いですけど、これからはもっと違うジャンルのものも増えてくるのでしょうね。
かなり市民権を得るようになったフリーペーパーですけど、新聞タイプのものは、かなり苦戦しているようです。既存の新聞業界からの圧力やら、印刷段階での問題やら、ここでも「閉ざされた国」日本が登場してしまいます。(^_^;)
新聞を読まない人が増え、そういう人たち向けにR25のようなフリーペーパーは企画されているのだそうです。だからサクッと読めちゃうんですね。会社帰りの電車の中でさらっと読んでしまえるようなものという考え方は、これまでの雑誌などにはなかったものです。
第7章の対談で語られていた「団塊の世代」と「ポスト団塊の世代」の違いというのが、とても気になりました。
団塊の世代はテレビとともに育ってきました。その子供たちである団塊ジュニアもまたテレビ世代です。テレビで流行が作られ、それをみんなで同調する傾向が強い人たち。「おそろい」が好きな人たちです。
それに対して昭和30年代生まれの「ポスト団塊の世代」の人たちは、人と同じであることが嫌いです。ですからみんながおそろいのテレビではなく、それぞれの主張を大事にする本や雑誌に走ったというのです。
「団塊ジュニア」の象徴的なものにルーズソックスがあります。彼ら自身の問題ではなく、それを履かせた親の問題。つまり、人とまったく同じものをよしとするファッション感覚がこの国にはある。
これには思わず「そうだ!」と言ってしまいました。ポスト団塊の世代であるわたしにとって、ルーズソックスや女子高生のスカート丈のような「みんな同じ」という感覚は気持ち悪くてしょうがないのです。
人はみんな個性があるのだから、それぞれが違う表現をすればいいのに、わざわざ同じ恰好するなんて、よっぽどセンスがないのか、勇気がないのかのどちらかだとしか、わたしには思えないのです。
お金を出さなければ買えなかった新聞や雑誌が無料になるというのは画期的なことです。昔なら到底考えられなかったことです。でも、今の時代では可能なのです。
でも、タダだったり安かったりするだけでは、そのうちに飽きられてしまいます。高くても満足度が高い方がいいと考える人が必ず増えてきます。だから、情報料はフリーであっても、内容はきちんとしていなければいけないのです。
余所で流行っているから、ウチでも真似しようなんて気持で作っていたら、すぐにバレてしまいます。フリーペーパーとしての個性をきちんと出せなければ、あっという間に淘汰されてしまいます。
本当に自由になろうとしたら、一生懸命に考えなければなりません。自分がやりたいこと、自分が好きなこと、自分が嫌いなこと、そういうことを真剣に考えなくっちゃね!
フリーペーパーを考えることが、自分自身を考えることになってしまいました。
925冊目(今年108冊目)☆☆☆☆☆
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