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『生きるための経済学―“選択の自由”からの脱却』 安冨歩

生きるための経済学
生きるための経済学
posted with amazlet at 09.07.25
安冨 歩
日本放送出版協会

 「選択の自由」という言葉を聞いて、どんなことを思い浮かべますか?

 「自由であることは素晴らしい」と、わたしはこれまで思っていました。でも、この本を読むうちに、「おっと、そう単純に喜んでいてはいけないのだ!」ということに気付いたのです。

 自分の意志で決めていたと思っている様々な事、今日のお昼は何を食べようかなぁ?というようなことから、結婚や就職といった人生の大きな選択に至るまで、本当に自分の意志で選択していたのでしょうか?本当にそれが正しいと認識して選択していたのでしょうか?

 「モチロン、ちゃんと考えて決めたのさ!」と信じていたことが、そうではなかったことに後になって気付くことが最近多いんです。勢いで決めちゃったこととか、周りに流されてしまったこととか、「自由」だと思っていたことが、実は「自分勝手」なだけだったのだと。

 自分の頭の中を一番分かっていないのが自分じゃないか?という疑問を常に持っているわたしにとって、この本は一つの回答であったような気がします。

 自分がこうだと信じていることが、実は「呪縛」であったら?という指摘にもドキッとしてしまいました。自分にとって都合の悪いことは考えたくないのが人の常ですが、そのために真実を曲げてしまう、真実を見ないようにしてしまうのは、本当に危険なことです。

 何かを選択するときに、わたし達の頭の中で何らかの計算が行われます。たとえば、こっちの方が安いぞとか、こっちの方がお得だぞとか、という考え方(手続的計算)はよくしますよね。

 それに対して、この本で語られている「創発的計算」はもっと感覚的というか、欲得ではない感覚での選択なのです。心から欲する選択とでもいうのでしょうか。

 ブルース・リーの言葉として有名な "Don’t think, Feel !" は、これを一言で表現しています。(この本にブルース・リーが登場するとはビックリでした!)

 この創発を阻害するものが、個人の内面についていえば「自己欺瞞」であり、コミュニケーションの観点から見れば「ハラスメント」である。

 「仕事依存症とアルコール依存症」という章に書かれていた文章が余りにも衝撃的で、かなり打ちのめされた感があります。でも、これを打破しなければどうにもならないのです。ちょっと長いのですが、度々読み返してみたいと思うので、ここに記述します。

 自分が自己欺瞞をしていることに気づくからこそ、それに気づかないようにアルコールに依存する。アルコール依存症になる人は、気が弱くてまじめな人が多い。こういった人はハラスメントを受けやすい人であるが、仕事依存症になるような、ハラスメントをしやすい人よりは安全なこともある。アルコール依存症は自傷行為であるが、仕事依存症は往々にして他人に危害を加える。

 仕事依存症の観点からすれば、余暇などというものは本来危険なものである。余暇があると自分自身を振り返ることが可能になるからである。それゆえ、仕事時間以外は「暇つぶし」をする必要がある。

 友人と連れ立って、あるいは1人でも、アルコールを摂取しに行く。流行っている映画を見に行く。家族を連れてテーマパークに行って楽しむフリをする。有名なレストランへ行ってそこで食べたものを「おいしい」と思いこむ。海外旅行へ行ってそこで経験したことを楽しいと思い込む。パチンコや競輪競馬などの公認ギャンブルをして手に汗を握る。家にいてもマンガを読む。本を読む。テレビを見る。音楽を聞く。四六時中何かを口に放り込む。インターネットにかじりつく。といったことで時間をつぶす。

 消費を自己目的化するということは、消費依存症になることである。単一の商品では依存症を維持するのは難しい。というのも、本当に欲しいものでない限り、人間はすぐに飽きるからである。そこで消費を自己目的化するためにはラインナップを豊富にし、それを頻繁に入れ替えることが必要である。これこそが消費者の選択肢を増やし、消費者の「選択の自由」を拡大している。として賞賛される。

 忙しくしていれば、できれば見たくない自分、考えたくない自分を避けることができる。という事実は実に怖いです。たまの休みにも分刻みの予定を立てていたり、逆に寝てばかりだったり、自分を見つめる時間なんて持ってはいけないと逃げ回っているのです。

 逃げ回るために消費し、その消費のために必要なお金のために働き、働くことの中でストレスを感じ、ストレス解消のために消費する。こういうスパイラルができているのだと考えると、余りにも悲しいしい、余りにもムダなことの繰り返しだと思うのです。

 「勇気を持って立ち止まり自分を見つめ直すこと」こそが大事なのです!

 それは考えることではなく、感じること。腹の底から湧き上ってくる思いを手に入れたいと真剣に願っています。

1046冊目(今年81冊目)☆☆☆☆☆☆絶対にオススメ!

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コメント

こんばんは。
な、なんかその考察はえらく怖いような気がします。
全員がそうだなんていわれると、えらく怖い気がします。
自分はそうではないと思いたいなぁ。。。

樽井さん☆おはようございます
自分は何のために生きているのかを考えた時、そこに何もなかったらどうなるのでしょう?
そして「何も考えない」というのが一番怖いことなのだと思います。

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