『落語家はなぜ噺を忘れないのか』 柳家花緑
噺家さんが師匠から稽古をつけてもらうときは必ず一対一なんですね。言葉だけでなく、話の間合いや声の調子、表情、しぐさ、目線、そのすべてを掴もうと、弟子は頑張るわけです。
最初はとにかく完コピなんだそうです。全部教わったまま覚えてしゃべれるようになるのが第一歩。そこから、いかに自分らしくしていけるかが技量の差なんです。
この本の著者、柳家花緑さんは「柳家小さん」さんの孫であり、最後の弟子だった方です。他の世界では師匠を一度選んだら、他の方から教わることってなかなかできませんが、落語の世界は割と自由なのにビックリしました。
一門の他の師匠に習うだけでなく、他の一門であろうと、時には後輩にまで話を習うことがあるのだそうです。習いたい噺によって、それが得意な人に習いにいくのでそうなるのだそうですが、そういう自由さっていいですよね。
以前読んだ「赤めだか」で、談春さんが小さん師匠に稽古を付けてもらったら、談志師匠とそっくりで、「ああ、談志師匠の教え方は小さん師匠から引き継がれたものなんだ」と感じたという部分がありました。
花緑さんは談志師匠に教わった時に、小さん師匠と同じだと感じて、談春さんと同じ気持ちを味わったと言っています。知らず知らずのうちに師匠の流儀が伝承されていくものなのですね。
現在の花緑さんは弟子を持つ身となったのですが、練習しろとか、勉強しろとかはあまり言わないんだそうです。学生じゃないんだから、そういうことは言われてやるものじゃないだろうと考えているのだそうです。
本気で上手くなりたいなら、人に言われなくったって練習をするし、寄席で下働きをしながらでも先輩方の話を必死に聞いて、何かを得ようとするものだろうという考えなんですね。
そういう考え方をする人が最近は減りましたね。質問して教わることしか知らない人や、黙っていても先生が教えてくれると思っている人が多過ぎます。そりゃ学校ならその理屈も通るかもしれませんが、社会に出てからは何でも教えてもらおうってのはムシガ良すぎます。
何かを上手くできる人がいたら、それをじっと観察して技を盗もうとする努力って大事だと思うんです。それをやっている本人が気付いていないクセとか、コツを見抜きたいという気持ちがわたしにはあって、ついついジッと見つめてしまうんですよね。
教えてくださいということも大事だけど、師匠の背中を見て覚えるということもまた大事だと思うんです。
自分よりも何かを上手くできる人=師匠 であると、わたしは常々思っているので、世の中は師匠だらけです! (^o^)/
最後に、この本はとっても面白い本なのにタイトルで損をしているような気がします。このタイトルじゃハウツー本かと勘違いしちゃいますよね。「噺家・柳家花緑」というようなストレートなタイトルの方が良かったと思うんです。
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