『なぜあの人は会話がつづくのか』 中谷彰宏
「ありがとう」の返事は、「こちらこそ、ありがとう」。(「どういたしまして」では、ありません。)
感謝の気持ちってとても大事なものです。「ありがとう、(何故なら~)」というものは、実にたくさんあります。「ありがとう、親切にしてくれて」「ありがとう、待っててくれて」「ありがとう、注意してくれて」「ありがとう、いつも仲良くしてくれて」。ありがとうという気持ちが、ありがとうという態度につながるのだと思います。
「ハイ、ハイ」と2回繰り返すと、「イイエ」になる。
気持ちよく「ハイ!」と答えてもらうと気持ちいいですよね。ヤル気あるなぁって感じがします。きっと、すぐにやってくれそうな、間違いなくやってくれそうな、って感じですね。なのに、「ハイ、ハイ」って言われると、ヤル気なさそうだなぁって感じになってしまいます。
本当に嫌でそう言ってるならいいけれど、嫌じゃないのに2回繰り返す癖が付いちゃってる人って困りますねぇ。「あなた、嫌々やってるんでしょ、だったらやらなくていいわよ!」と思われてしまってますよ~!
嫌いなものについて、話さない。
嫌いなものについて熱く語る人って、どうしてあんなに多いんでしょう?嫌な人なら相手にしなきゃいいんだし、嫌いな食べ物なら食べなきゃいいんだし、どうして無視できないんだろう?もしかして、好きなものがないからなのかしら?
人と会話できていない人は、自分とも対話できていない。
会話って、自分が話す事が大事なのではなくて、相手の話をいかに聴くかってことが大事。真剣に話を聞き、相づちを打ち、分からないことは質問し、相手の事を知ろうとする気持ちが必要ですねぇ。
自分自身に対しても、聴く耳を持たないと見逃してしまうことが沢山あります。自分に出来るのはこれだけなんてタガをはめてる人、身体が辛いとサインを出しているのにそれを無視してしまう人、自分を一番よく知ってるのは自分だって勘違いしてる人。
自分が気にしている所と、他人が気にしてる所って、もの凄く違います(^^ゞ
自分が一生懸命気にしてるところなんて他人は何とも思ってなくて、「それより、財布がバンバンなの、何とかならない?」とか「小じわより、そのお腹何とかならない?」「面食いなのは構わないけど、それだけしか考えてなかったら恋人なんてできないよ」なんて思われてるのよねぇ。
中谷さんの本を読むたびに、反省することしきりです。なのにすぐ忘れちゃうから、気が付いたら中谷さんの本を読み返すようにしてます。一番よく分からない「自分」という者の操縦するって難しいですからねぇ。
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中谷先生は僕も好きです。「エラーでは負けない。エラーの後ふてくされて負ける」はまさに人生の金科玉条ですね。でね、3番目の「嫌な物問題」に関してちょっと考えてみました。
人間はほとんどの場合、自分を基準に理屈を付ける。嫌な物について、多くの人は理屈付けて考えるのが好きです。それは嫌な物に対して、自分が素晴らしく見えるからです。しかし、好きな物に対して理屈を付ける人は実は驚く程少ないです。好きな物は感情的に素晴らしい。論理的には素晴らしいとは別に思わない。
両面から素晴らしいと言い切るRokoさんは、もっともっと大変素晴らしい。は置いといて。多分好きな物に理屈を付けると、基準点の自分がおとしめられてしまうからでしょうか。ふむふむ。うーむ、「この素晴らしい世界に対して、論理的には自分は恐ろしく素晴らしくない。だって、本当に素晴らしかったらもっとハッピーなはず。これが論理の世界においては最も信憑性のある論理的な帰着点なんだもんね」だって。これは僕によるほんのちょこっと考えただけの単なる仮説ですが。この仮説は、ほとんどの人間が多くの場合、自分をこの世界に対して、卑小な物に過ぎないという頑迷なコンプレックスに囚われてるのであるって前提らしいってことが推測されるなあ。
これ聞いたら、「人間はもともと悲惨である」と『太陽の賛歌』の中でぼやいてるカミュが「快かな」と膝を打ち、あのホンキートンクでいつもご機嫌なアブラハム・マズロー先生はきっと泣き出すよー。特にマズロー先生の場合、胸ポケットから引きずり出されたハンカチ君が5回位「早く乾かして」欲求を主張し始めるんちゃうかい? にゃ訳で。チャオ!
投稿: じんくろ | 2011年6月16日 (木) 12:59