『すばらしい新世界』 ハックスリー
すべて管理されているこの世界では、人間すらも人工的に作られています。いくつかの階級があって、それに合わせた人間が人工授精で作られ、その階級で生きることが幸せであると洗脳するための教育を受けさせ、家族というものは全く否定されているのです。
幸せな気分になれる薬を日常的に摂取し、そうやって生きることに何の疑問も持たず、快楽だけを追い求め、老いることも死ぬこともコントロールされている世界。それはまるで、今の日本みたい!
支配者にとっては、従順な人民こそが理想的です。支配者が何故支配者になったのかに疑問を持たない。自分が何故この階級に生まれたのかを疑問に思わない。世の中に不合理なことがあると思わない。自分たちは幸せだと信じている。こんな人たちだったら革命なんて起きるわけがありません。
総統は言った。「われわれは物事を愉快にやるのが好きなんだよ」
「ところが、わたしは愉快なのがきらいなんです、わたしは神を欲します、詩を、真の危険を、自由を、善良さを欲します。わたしは罪を欲するのです」(本文より)
自分たちは幸せだってプログラムされた社会で生きていることに疑問を持ってしまった人は、まるで頭がおかしいみたいに扱われ、「そんなこと考えないで幸せな毎日を過ごせばいいじゃない」と言われてしまう社会なんて、わたしは絶対に嫌です!
1932年(昭和7年)にこんな未来を予測したハックスベリー、恐るべし!
今の日本は、どう考えても情報が操作されています。深刻な問題はサラッと片づけてしまって、下らない芸能ネタばかりを流していたり、一部の声が大きい人が騒いでいる事ばかりが流布されていたり。いったい誰が操作しているのでしょう?
例えばTVの視聴率いっても、どんな人たちを対象に調査しているのかによって結果は全く違ってくるだろうし、録画で見ているのは計算外になるっていうし、これが信用できる数字だとは到底思えません。
ニュースというのは「新しい」という意味も含んでいると思うのですが、新聞や雑誌はもはや新しさに欠けているし、TVやラジオはスポンサーに遠慮して言えないことがあるし。
疑問を持たずに生きていたら、騙されっ放しの一生じゃないですか!
子供のころから型にはめられて、物分りのいい子になるんだよって育てられてきた今時の子供たちって、まるで「すばらしい新世界」の子供たちとそっくりじゃないですか。というか、この世界よりも更に去勢されているようにすら思えるんです。
いつでも安心な家庭から出ていくことができない若い人たち。自分も孫がいるような年代なのに、既に亡くなってしまった親の年金をだまし取って生きてきた中高年。辛い思いをするだけだからといって、働くよりも生活保護を受けることを選択する人たち。
勤勉で働き者の日本人なんて、ただの幻になってしまったのかなぁ?
今の日本がこのままでいいなんて信じていたら、間違いなく「すばらしい新世界」になってしまいます。それだけは避けたいと思うんだけど、そんな危機感を持っている人がどれだけいるのやら?
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コメント
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日本の再生は、20代30代の若い人たちが一人でも多く覚醒することだと思います。現実がどうあろうと、常に自分のポジションを確認する冷静さが個人としても国としても重要だと思います。
40年近く前にクラプトンのように歌ってギターが弾けるといいと思いました。先週、同じ事を思って「クロスロード」を練習したのですが、家人に「念仏を唱えているのか?」と笑われました。ごもっとも、反論できないくらいヒドイ、、、。でも私は平気、一生楽しめます。なぜならば、40年前よりも私とクラプトンの距離は縮まっているからです(ホント?)。
日本人に必要なのは、「今日を生きる(Seize The Day)」感覚だと思います。
すいません、エラソウなことを言いました。
***
投稿: 三鷹の隠居 | 2010年10月 4日 (月) 09:25
三鷹の隠居さん☆こんばんは
余暇とか趣味とかってものをまるで考えていない人生なんてつまらないですよね。
遊ぶこと、食べること、楽しい時間を過ごすこと、そういう自分がやりたい何かの為にわたしは生きています。
TVを見てないと話題についていけないからなんて言う人が多いけど、そんな事しなくてもちっとも困りません。
それより、面白い本を読んだり、音楽を聞いたりする方をわたしは選んでしまいます。
投稿: Roko(三鷹の隠居さんへ) | 2010年10月 4日 (月) 19:52
オーウェルに続いてハクスリーの記事なので、「あれ?」と思いましたが、これは講談社文庫でしたか…。
もう三十数年前(40年近いかなあ)になりますが、早川SF全集という分厚いのが発売されまして、その第一巻が「すばらしい新世界」と「1984年」のカップリングでした。
全集の中には、いまではなかなか読めないようなSFもありました。
ほとんど忘れてしまっていました。
誰かが支配のために情報操作しているのではなく、マスコミが大衆の好みに合わせて情報コントロールし、結局はそれが愚かさと無気力の再生産につながっている、ということになっている。そういう仕組みになってしまって抜け出せなくなりつつあるのが怖いです。
投稿: ディック | 2010年10月 7日 (木) 20:42
ディックさん☆こんばんは
マスコミは「大衆の好み」なんて言ってますけど、本当にそうなのかなぁって思える下らなさですよねぇ(-_-;)
ネタが尽きてるのに無理してるから、内容が薄くなってるんじゃないでしょうか?
体力も知力も「使わないものは減る」んですよね。(>_<)
投稿: Roko(ディックさんへ) | 2010年10月 7日 (木) 21:27