『ごえんの法則』 小林 正観
絵が好きな人がいくら絵を描いても、努力をしているとは言いません。音楽が好きな人が音楽を作っているのも、努力しているとは言いません。~中略~そこに努力が必要だと思い始めたら、本来の姿は消え失せます。スポーツや芸能は本来、努力という言葉とは違う世界に属しています。何かを精進すること、自分の腕や技能を磨くことを努力と言い換えるのは正しくないと思います。(本文より)
「好きこそものの上手なれ」と言いますが、好きな事に没頭する時間は、寝食を忘れても辛くないというか、そんなことが気にならないくらい楽しくて、幸せなものです。それを好きではない人が同じ事をしようとしたら、それは辛いこと(努力)になってしまいます。
それに、あることを好きな人というのは、それに対しての執着心が違います。細かい所まで実によく観察し、違いを読み取っているのです。嫌々やっている人には、そんな違いなど目に入りません。
「努力は報われる」のではなくて、「最初は大変だったけど、途中から面白さが分かってきて、楽しく学ぶことができました。」というのが正しい状況だと思うのです。辛いことを、そんなに長く続けられるわけがないですもの。
お釈迦様はゆっくりと噛みしめるように言いました。
「アーナンダよ、よき友を得ることは、聖なる道の半ばなのではなく、聖なる道のすべてを手に入れることである。よき友を得ることは、灯し火を頼りに夜の暗い道を歩くようなものだ。よき友は、暗い道の灯し火になってくれる。自分の人生が見えなくなった時に、そこに指針を示してくれる。友は道を明るく照らしながら一緒に歩いてくれるものである。よき友を得るとはそういうことだ」
先日、自分は他人と共感したことがないという人と話をしたんです。「何かをきっかけにして共感するからこそ友達ができるんじゃないんですか?」と質問したら、「そんなものは不要である。」と言われてビックリしてしまいました。
「自分の事を相手に分かってもらおうとも思わないし、他人の事を理解しようとも思わない。」「あなたは他人に共感しようと言うが、それにどんな意味があるのか?」と言うのです。
「それも1つの考え方ですから、わたしの考えを押し付ける気はありません。」と言って、話は終わったのですが、こういう人って一生このままなのかなぁと考えてしまいました。いつか気付いてくれればいいんだけど。
わたしにとって、友達の存在は本当にありがたいものです。1人ではできないことも友達と一緒だからこそできるのだし、辛いときにグチを聞いてくれたり、ただそばにいてくれるというだけでも、どんなに心が安らぐことか。
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