東北関東大震災
11日に発生した地震は「東北関東大震災」という名称がつき、地震規模も当初発表されていたM8.8からM9.0に修正されました。
状況が分かれば分かるほど、この震災の大きさがはっきりとしてきました。
ここで、当日の事を振り返ってみようと思います。
わたしはその時に渋谷のあるお店にいました。揺れ始めてもお店にいた人たちは「また地震ですか?」くらいの反応だったのですが、途中から「これは、いつもと違う!」ということに気付きました。お店の人の「とりあえず外に出ましょう!」という呼びかけで、道路に出ました。
道路には近所のお店からドンドン人が出てきていました。隣のビルにある美容院からも大勢のお客さんがケープをかけたままの状態で出てきました。自力で立っていることができなくて、ガードレールや電柱などにつかまっていた人も大勢いました。
その時気になったのが、みんな建物のそばにいたという事です。たまたま上から物が落ちてこなかったから良かったけど、ガラスのウィンドウの前などは危険だから、道路の真中まで逃げないと怖いなぁって思いました。
地震の情報を集めようと思って iPhone で radiko を聞こうと思ったのですが、全くつながらない状態でした。Yahoo のニュースでやっと震源などの情報を知ることができ、これがとんでもない大地震だという事がやっと分かったんです。
電車は止まっているだろうけど、とりあえず駅の方へ行ってみようと、公園通りの Apple Store の前まで来た時にかなり大きな余震が来ました。ビルが揺れているのを見て、これはただ事ではないと実感しました。
パルコの裏にある TOKYO FM のスタジオから、緊急地震情報が流れていました。そこで大きな津波が各地に迫っているという事を知りました。
「津波が近づいています。急いで高い所へ避難してください。遠くへではなく高い所へ避難してください。」という放送が流れていて、そんなに急を要しているということに衝撃を受けました。たぶん、この言葉は一生忘れられないと思います。
ケータイは全くつながらない状態だったので、公衆電話を探しました。運よくデパートの公衆電話がすぐに見つかり、実家に電話をすることができました。これで一安心、後はどうやって家まで帰るかです。
電車はすべて止まっていたので、バスターミナルへ向かいました。すでにかなりの人が集まっていましたが、新橋行きのバス停の行列はさほどではなかったので、ここに並びました。かなり待ちましたが、動き始めた最初のバスに乗れて、しかも座れました。かなりラッキーです!
途中のバス停では、バスから下車はできるけれども乗車はほとんどできない状態でした。道路は車だらけでノロノロ運転。1時間以上かかって、やっと新橋に到着。ここから別のバスに乗ろうかと思ったのですが、既に長蛇の列が見えたので諦めました。
新橋からなら家まで歩ける自信があるので、徒歩で帰宅することにしました。
銀座の中央通りを歩いたのですが、既に閉店しているお店もいくつかあり、買い物客や会社から出てきた人たちでいっぱいでした。
銀座4丁目の中村屋では、あんぱんを買って店の前で食べている人が大勢いました。帰宅できるまでに何時間かかるか分からないので、まずは腹ごしらえということだったのでしょうね。コンビニや立食蕎麦、牛丼屋さんなども、サラリーマンでいっぱいでした。
ケータイ・ショップでは充電する人や、TVに見入る人が沢山いました。
日本橋のデパートの前にはタクシーで帰ろうとする人が沢山待っていましたが、中央通りでタクシーはまったく見かけませんでした。
この辺りから、ヘルメットを被って歩いている人が増えてきました。大きな会社だと防災用のヘルメットや防災袋を用意しているので、この人たちはそういう会社の人たちかなぁ?
余震でもいろんなものが上から降ってくる可能性があるので、ヘルメットは被っていた方が安心ですね。
人形町では、道端でスニーカーを売っている露店を見かけました。ハイヒールのお姉さんたちがけっこう買ってました。長時間歩くにはスニーカーの方がいいですもの。それに、この露店でのお値段が超リーズナブル!1足300円でした。売れ残りっぽい商品でしたけど、この値段だったら文句はないですね。
新大橋を渡ったのですが、こんなに大勢の人がここを歩いているということに、不思議な気持ちになりました。
ここまで来れば、江東区民のわたしにとっては「先は見えたぞ!」って所ですが、歩きながら周りの人たちの話を聞いていたら、千葉県の人もかなりいて「先は長いなぁ、頑張ってくださいね」という気持ちになりました。
沿道の居酒屋さんが「トイレをご自由にお使いください」とお店を開けていたり、「道案内します」という貼り紙をしている雑貨屋さんがあったりしました。こういう優しい気持ちって大事ですね!
約1時間半で帰宅できたわたしは、かなり楽に帰れた方だと思います。長時間歩いて帰宅した方、当日は帰ることができなくて緊急避難所で夜を過ごした方も多数いたそうです。それでも東京周辺はまだ大した被害ではありません。
家に帰ってからニュースをTVで見て、その余りにひどい被害状況にビックリしました。町ごと津波に流されてしまったところがあるなんて!
津波の被害で家を無くされた方、怪我をされた方、家族の消息がまだ分からない方、そして亡くなった方々の事を思うと、たまらない気持ちになっています。
一人でも多くの方が救助されること、そして復旧活動が進むことを祈っています。
東京電力は、明日から計画停電を行う事を発表しました。しばらくはガマンが必要ですね。
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実体験報告ありがとうございました。
首都圏の方々も、やはり大変な状況になっているのですね。どうしても、こちらで流れてくる情報は、宮城本体と福島の原発に集中してしまいがちなのですが、輪番停電といい電車のストップといい大変な状況下と思います。
こちら関西で出来ることは節電と義援金送付くらいしかないですが、こちらの人に限らず日本中の人が復興に全力を尽くしたい、できることをしたいという気持ちでいますので、全員でこの厳しい事態をなんとか乗り切っていきましょう。
ところで、この地震の名称って、結局この東北関東大震災で確定ですかね。テレビとか一部ネットだと東日本大震災っていい方がかなりされているのですが、、テレビも混乱中なのかな。
投稿: 樽井 | 2011年3月15日 (火) 01:18
樽井さん☆こんばんは
ここ数日はスーパーなどから食料品や電池などの日用品が姿を消しているんです。
家の辺りだったら停電もないし、水道も出ているというのに、何を血迷っているのかパンやおにぎり等を必死に買いまくっている人が相当数いるらしいんです(^_^;)
こういうパニックにはまりやすい人って、やっぱりいるんですねぇ!
今の東京は天災よりも人災がヒドイです(^^ゞ
投稿: Roko(樽井さんへ) | 2011年3月15日 (火) 19:12
生の体験談は、テレビのニュースで見ているのとは違って、書き手への感情移入が出てくるので、迫力があります。
わが家では翌日に亡父の一周忌の法事を予定していましたが、中止を決めてもお寺とも料理店とも親戚とも連絡が付かず、苦労しました。
PCを置いてある部屋ではスライド式本棚が外れて倒れ、本が数十冊散乱していました。被災地の方々のことを思えば、そんな程度で済んでよかったと思います。福島の原発の事故が終息に向かうと確信できればよいのですが…。
投稿: ディック | 2011年3月18日 (金) 11:35
こんばんは。
地震から1週間が経ったんですね。何だかこの1週間がとても長く感じました。
私のいるところは震度3だったのでそれほどでもなかったのですが、本当に今の現状は大変なことになっていますよね。
渋谷の当日の映像を見ました。見たことがないくらい人が溢れていて驚きました。
本当に、これ以上の被害が出ないことを祈るばかりです・・・
投稿: 苗坊 | 2011年3月18日 (金) 20:24
ディックさん☆たいへんでしたね!
地震の被害はいろんな所で起きましたね。
お父様の法事の準備をされていたのに、連絡したいのに連絡できないあの状態では、さぞかし大変でしたでしょう。
とはいえ、家の中の被害がその程度だったのは、不幸中の幸いでしたね。
地震、津波そして原発、まだまだ様々な問題が山積みですが、みんなで力を合わせて頑張るしかないと思っています。
投稿: Roko(ディックさんへ) | 2011年3月18日 (金) 22:03
苗坊さん☆こんばんは
あの日の渋谷は、本当に大勢の人で溢れかえっていました。
そして、新橋も、銀座も、日本橋も、どうしてこんなにいるのかとびっくりするほどの人が道に溢れていました。
ああいう時にケータイ電話は全く役に立たないんですよね。それに比べて、公衆電話や家電話はすぐにつながりました。
公衆電話のありがたさを、久しぶりに感じたあの日でした。
投稿: Roko(苗坊さんへ) | 2011年3月18日 (金) 22:10
Rokoさん、銀座から徒歩圏なんですね。
私は不案内な銀座で、どうしたものかとうろたえました。
横浜まで歩くってわけにもいかないし・・・。
携帯電話もメールも全く繋がらず、iphoneのバッテリー残量がガンガン減って、タクシーに乗ろうと皆さん殺気だってましたし、余震で揺れるし。
ちょっと怖くて、当分東京まで足を伸ばす勇気がありません。
毎日計画停電のスケジュールにあわせて行動していますが、この寒さの中避難所の方々や捜索、原発対応の方々の昼夜に亘る頑張りを思うと申し訳ない気持ちです。
いま私にできることは、節電と物資の支援、風評に惑わされることなく冷静に行動することだと思っています。
投稿: ryoko | 2011年3月23日 (水) 01:27
ryokoさん☆おはようございます
東京駅から横浜駅で40km弱、8時間かかると思うと躊躇する距離ですね。
計画停電は当分続きそうなので、日常生活も限定されることが多いと思います。
でも、こんな時だからこそ元気に、なるべく普通の生活をすることが復興の活力になるのではと思います。
投稿: Roko(ryokoさんへ) | 2011年3月23日 (水) 08:46