『超思考』 北野武
残酷な話だけれど、才能は誰にでもあるものではない。そもそも、誰にでもあったらそれを才能とは呼ばないのだ。ところが今の世の中では、誰の中にも才能は眠っているという事になっている。「その才能という宝の山を、埋もれたままにしてはいけない。私がその宝の山を探すお手伝いをしましょう」と、いうわけだ。これは、笑ってしまうくらい古典的な、昔ながらの詐欺師の口上だ。
わたしも昔は、誰にも才能はあるものだと信じていました。頭が悪くったって運動神経がイイとか、いい加減な奴だけど口は上手いとか、そういう部分でみんな生き抜いているんだと思っていたのです。
ところが、実はそうでないことに段々と気付いてきました。「富は集中する」とよく言いますけど、才能も集中するものなのだということも分かってきました。
一口に才能と言ってしまうけど、いろんな才能が有ります。絵が上手いとか、歌が上手いとかっていうアウトプットの部分につい目が止まりがちですが、本当の意味での才能っていうのは持続する力なのだとわたしは思います。
持って生まれた才能 + 練習や訓練をやり続けることができるという才能
この2つを持ち合わせているのが、本当に才能がある人なのだと思うのです。
凡人は、何かをイヤだけどやらなければいけないから「努力」する訳ですが、本当に才能を持っている人は練習をイヤだとは思いません。むしろ進んでやっているのですから、これは「努力」ではないですよね。「好きなことをやり続けている」だけなんです。
こういう人には絶対にかないません。
そして、このモードでいろんなことに取り組んでいったら、練習や勉強が辛いなんて感覚はないはずです。だから才能がある人って、いろんなことができてしまう。それが現実なのだと最近しみじみ思います。
じゃあ、才能がない人はどうすればいいのか?ということになりますが、そういう人は発想を変えるしかないと思うのです。
もし今の自分の仕事にやりがいを感じないとしたら、それは不幸なことではなくて、むしろチャンスなのだ。自分はこの仕事を冷静に見る目を持っていると思えばいい。冷静に考えれば、どんな仕事であろうとも、今よりは面白くできる。
何でもいいから視点を変えて面白がって見ると、今までイヤだと思っていたことが案外イヤじゃないなぁって思えるってことに気が付くと、世の中は楽しいことだらけになってきます。
今までイヤな奴だと思っていた人の言動を分析してみたら「なぁんだ、タダの小心者じゃん」と気付いたり、すごーく頭のいい人だと思っていた人が飛行機に乗れなかったり、どうでもいいことなんだけど、気が付いちゃったら可笑しくてしょうがないことって、実にたくさんあるんです。
いくら金を積まれたってどうにもやれない下品というものがある。~中略~ どういう下品化と言えば、世の中に迎合する下品だ。行列に並ぶ下品と言ってもいい。最近のテレビはチャンネルを変えても、どこも似たような番組しかやってないといわれるけれど、それはつまり番組が行列に並んでいるということだ。
お前みたいな下品な奴が、品を語るのかと嗤うかもしれない。聞くに堪えないような下ネタのオンパレードじゃないかと。けれど俺にとっては、そういう下品ならいくらでも平気なのだ。ただ、他人に媚を売るような見え透いた真似がどうしてもできない。そっちの方がよっぽど品がないと思ってしまう。
こんな哲学を持って生きているタケちゃんは、本当に尊敬できる人だなぁって思います。おハイソなフリして実は下品な人が多い今の世の中をバシバシ叩いて欲しいですねぇ。
卑怯と言う奴がいるかもしれないが、人生はスポーツじゃない。喧嘩だ。大切なのは結果であり、その結果を手にするための要領だ。負ける喧嘩はしないのが喧嘩に勝つための鉄則だ。
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