『頭がよくなる思考術』 白取 春彦
現実を生きるために排除すべきは、くだらない思いや意見を持っている他人ではなく、自分が事実だと思い込んでいる妄想なのである。(本文より)
街中で他人が話している会話が気になることがあります。その内容から、「ああ、そういうのが流行ってるんだ」って感じたり、「そんなことで悩んでる人が多いんだなぁ」なんて思う事がよくあります。
そんな中で、最近気になってしょうがないのが「ふつう」という言葉です。「あそこのラーメンはふつうに美味しいよ」なんて使い方は、かつては使わなかった言い回しです。
「ふつう」というのは特別ではない状態、中ぐらい、常識的というような意味で使われているのでしょう。とはいっても、100点満点中の50点というような明確な評価ではなく、あくまでも感覚的な表現ですよね。
自分にとっての「ふつう」と、世の中にとっての「ふつう」は同じはずがありません。自分にとっては「ふつう」に感じるラーメンを別の人が食べたら「塩からい」と感じることもあります。更に別の人からは「薄い」と言われるかもしれません。
その差があって当たり前なのですが、世間の「ふつう」から自分が逸脱していないかを妙に気にしている人が増えているような気がするのです。
「あたりまえ」を疑え
「あたりまえ」「ふつう」「常識」、こういうものにわたしたちは知らないうちに縛られています。いかにも正しそうなこれらの尺度に縛られて、身動きできなくなっていることがたくさんあります。
わたしが子供の頃は、「女性が1人で旅行へ行くなんてとんでもない」「男性が赤い服なんて着ないでしょ」というのが常識でした。今時そんなこと言ったら笑われちゃいますけど、こういうことってドンドン変わっていくんです。
だから、自分が持っている尺度も、世間の尺度も、鵜呑みにしてたらとんでもないわけです。
視野の狭さを自覚せよ
何故「ふつう」にこだわってしまうのか?を考えてみると、その原因は、「こんなことも知らないと言ったら笑われるのではないか?」「自分だけ世間から置いて行かれるのではないか?」という恐怖が根底にあるのではないかと思えるのです。
知らないから怖いという心理が、自分の世界を益々狭くしていきます。だったら逆の事を考えればいいのにと、わたしは思うのです。
わからないことから逃げるな
正体がわからないオバケから逃げようとするから、オバケに追いかけられている妄想に取りつかれるんじゃないかな。逆にオバケを追っかけて行ったら、オバケの方が逃げちゃうんじゃない(笑)
考え方をちょっと変えるだけでと言うのは簡単だけど、実行するのに躊躇してしまうのは、こういうオバケに取りつかれちゃってるからなんでしょうね。
他にも気に入った言葉が沢山あったので、ここに書き留めておきます。
- 頭のカタさを克服するためのもっとも手っ取り早い方法は、できるだけ多くの本を読むことである。
- 「幸せ」ではなく「満足」を求めよ
- 考えるためには頭を働かせなければならないが、体力がある程度働き、知覚が刺激を受けていなければ頭も動かないものである。
1406冊目(今年47冊目)☆☆☆☆☆
« 映画 「ダーク・シャドウ」 | トップページ | 『新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか』 上杉 隆 »
「日本の作家 さ行」カテゴリの記事
- 『三兄弟の僕らは』 小路幸也(2021.04.20)
- 『曲亭の家』 西條奈加(2021.04.15)
- 『マイノリティデザイン』 澤田智洋(2021.04.03)
- 『桜の森の満開の下』 坂口安吾(2021.03.23)
- 『君たちが忘れてはいけないこと』 佐藤優(2021.02.26)
読んでくださってありがとうございます
投稿: 白取春彦 | 2012年6月25日 (月) 02:02
白取春彦さん☆ありがとうございます。
著者の方からコメント頂けるなんて、とっても嬉しいです!
投稿: Roko(白取春彦さんへ) | 2012年6月25日 (月) 07:51