『筑豊一代「炭坑王」伊藤傳右衛門』 宮田昭
朝ドラ「花子とアン」で人気沸騰(笑)の白蓮さんの夫であった嘉納伝助のモデルとなった「炭坑王」伊藤傳右衛門の伝記を読んでみました。白蓮事件でのイメージが強くて、本来の炭坑王としての功績が忘れられてしまっていることを残念に思った著者が膨大な資料を集めて書いた作品です。
傳右衛門さんは8歳で母親を亡くし、直後に父親が病気で倒れ親戚の家に預けられました。2年後に父親の病気が回復して家に戻りましたが、一家の稼ぎ手として荷物運びをしたり、行商をしたりする子供時代を送り、学校へ通う事は出来ませんでした。
しかし彼は、働くことの中で現実の世界を勉強し、少しずつ成功への道を歩んで行ったのです。結婚後、白蓮さんに「あの人は字も読めなくて」と罵倒されていましたが、実際には全く字が読めなかったわけではなかったようです。
本を読んで勉強するというレベルではなかったようですが、それを補っていたのは稀に見る記憶力の素晴らしさです。人の名前、会社の数字などは一度で覚えてしまったそうです。ですから、必要な書類などは誰かに読んでもらったり、書いてもらったりしていたのでしょうね。信頼できる部下さえいればそれは可能です。
三井や三菱など大手の資本が投入された中で、個人で筑豊の5本の指に入るほどの大きな会社を束ねていけたのですから、彼は経営者としての並外れたセンスを持った方だったのだと思います。
炭坑の経営者のみならず、国会議員、銀行の役員などもなさっています。国会議員として筑豊の炭鉱の為に働かれたり、それまでにあった何行かを合併した福岡銀行の設立は、傳右衛門さんの尽力なしにはあり得ないのだそうです。
1947年に数え88歳で亡くなった傳右衛門さんの人生は筑豊の炭鉱の歴史そのものでした。彼の人生の終わりと共に炭坑が衰退をしていったのには、不思議な運命を感じます。
ドラマの影響で、旧伊藤傳右衛門邸の見学が人気なのだそうです。こうやって近世の歴史が知られていくのはいいことだなと思います。
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私の友人が伊藤邸を見に行ったのですが、駅からバスで数十分かかる場所なのだそうで、彼女いわく「あんな田舎に押し込められていたら、連様かわいそうだと思う。」とのことでした。
思うに白蓮さんは、現代女性の感覚を持っていなのではないかと思うのです。傳右衛門さんのような、器は大きくとも言葉が粗野な男をへりくだって手のひらで転がすよりも、対等な存在として並び立とうとする方を選んだのではないかと。でも、お互いの言葉はうまく伝わらなかったんじゃないかと思います。
伊藤邸は今ではでは白蓮さんの短歌なども展示されているそうです。
投稿: 日月 | 2014年7月30日 (水) 00:40
日月さん☆おはようございます
傳右衛門さんとしては、最高のプレゼントをしていたつもりだったのでしょうが、結局はセンスが違っていたということなんだと思います。
とはいえ、あれだけのことをされても白蓮さんを恨んではいけないとおっしゃったあたり、当時の方としては女性に対して破格の評価だと思います。
だからこそ、お邸での白蓮展も可能になったのですよね。
投稿: Roko(日月さんへ) | 2014年7月30日 (水) 08:49