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わたしにとって当たり前ということがあります。でも、別の誰かにとっては当たり前ではないかもしれません。この違いに気付くことって、意外とないのです。
わたしが子供のころ、友達の家は商売をしているか、職人か、町工場がほとんどでした。だから、Aちゃんの家はお肉屋さんねとか、Bちゃん家のお父さんは鳶職ねなんて、認識がしっかりあったのです。逆に言うと会社員というのが珍しくて、Cちゃんのお父さんはサラリーマンなんだ~って思ってました。
だから、隣は何をする人ぞなんてことはあり得ないわけで、お金持ちだろうが貧乏だろうが、いろんなものが混在することが当たり前という世界だったのです。
友達との関係も、あの子は縄跳びが上手とか、プラモデル作るのが上手いとか、それぞれの個性を認め合っていました。だから勉強ができる子よりガキ大将の方が偉かったし、先生だってそれを認めていました。
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