『「痴呆老人」は何を見ているか』 大井玄
高齢になって、認知症を発症する人が増えています。それは、ある日突然になるという症状ではないけれど、ちょっと会わないでいるうちに急に症状が進行していたというものであるような気がします。自分の母のことを思い起こせば、その兆候は少しずつあったのだけれど、見ないようにしているうちに、じわじわと症状が進んでいたなと思います。
昔のことは良く覚えているのに、最近のことをすぐに忘れてしまったり、単に物を忘れるというだけでなく、不思議なことを言い出すということもありました。
「うちに帰りたい」という言葉が、今の家を指しているのではなく、田舎の実家のことだったということもあります。そんなこと今更言わなくてもいいでしょうという秘密を急に話し出したり、女学生時代の話を急に始めたり。
何でそんなことを話したがるのだろうということがたくさんありました。
自己とは記憶である
脳について書かれた本を読んでいると必ず書かれているのが「人間は自分に都合の良いことしか見ていない。聞いていない。都合がよいように記憶を書き換える。」ということです。認知症の人たちの頭の中でも同じことが起きているのだなと、この本を読んでいて気が付きました。
住みやすい過去へ
歳を重ねていくうちに、体調は悪くなり、親しい人が亡くなり、自分にとって都合の悪いことが増えていきます。すると脳は、自分にとって快適である過去が現在の自分の居場所であると情報を書き換えてしまうのではないでしょうか。
だからこそ、自分が帰るべき家は実家であり、娘であるわたしの存在を忘れてしまう。そう考えると、母の言動はとてもよく理解できるのです。
認知症の人が不思議なことを話し始めた時に「そんなことないでしょう」と否定するのではなく「そうなのね」と受けること。あなたは孤独じゃないのよと感じてもらうこと。それがとても大事なことなのだなと今更ながら理解できました。
程度の差こそあれ、歳を重ねればほとんどの人が認知症になります。認知症の人を優しく見守れる社会をわたしたちは作っていけるのでしょうか。
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