『とっさの方言』 小路幸也、大崎善生ほか
それぞれの土地には、それぞれの言葉があります。その地域の気候や地形や住んでいる人たちの気質から言葉は生まれ、育っていきます。生まれた土地の言葉を、人は自然と覚え使うようになります。ですから、その土地に生まれ育った人にとってはそれが普通の言葉なのです。途中から違う言葉の土地へ住むようになった人は、それまでの言葉と彼の地の言葉の差にビックリします。ほとんどの場合「聞き取れない言葉」に打ちのめされるのです。
でも、その土地の言葉に慣れるにつれ、それが当たり前であると感じるようになっていきます。そうです、郷に入っては郷に従えなのです。
東京へやってくる人たちは、何故か自分の土地の言葉を封印し、標準語をしゃべろうとします。でも、ちょっとしたイントネーションが違うとか、それまで自分が「これは標準語だろうと思っていた言葉」が方言だったとか、ということに気付きます。それを恥ずかしいと思うのか、面白いと思うのか、そこは個人差が激しい部分だと思います。
わたしは東京生まれですが、母が栃木生まれです。わたしが子供のころ、わたしが話すのを聞いていて「あら、この子栃木なまりがあるわ」と感じたことがあったと、母が話していたことがありました。どうも話す言葉の語尾上がりが気になったようです。
母は自分の父、つまりわたしの祖父のことを「おじいちゃん」ではなく「おじちゃん」と呼んでいました。この本の中にもこの呼び方が登場して、とても懐かしく感じました。栃木では祖父母のことを「おじちゃん・おばちゃん」と呼ぶのです。これは他所の地域の人にとっては誤解しやすい表現ですよね。
父は北海道生まれなので、さほど強烈な違いは感じませんでしたけど、自分のことを「ワシ」と呼んでいたのと、トウモロコシをトウキビと言っていたのは覚えています。「いいんでないかい」のように「ないかい」という表現も多かったなぁと思いますが、イントネーションなどはさほど気にならなかったなぁ。
わたしが育った東京の下町にも、それなりに方言があります。今やポピュラーになった「もんじゃ」を食べる時に使う小さなヘラのことは「ハガシ」と呼びます。1つのお饅頭を2人で分け合う時には「半分ずっこ」。一人称は「オイラ」「アタシ」。発音的には「ヒ」と「シ」があいまいなので、「シガシの空にシが登る」。野菜市場は「ヤッチャバ」でしたね。
今はみんな標準語をしゃべるようになっちゃったので、ちょっとつまらないなぁって思います。いろんな土地にいろんな言葉があるってのが自然でいいなぁって思うのです。
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