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『東京會舘とわたし 上 旧館』 辻村深月

東京會舘とわたし 上 旧館

辻村 深月(つじむら みづき)

 東京會舘は皇居のすぐそばという素晴らしい立地で、帝国劇場のとなりにあるということは知っていましたが、大正11年に建設された時に、帝国劇場とつながる地下通路が作られていたというのにはビックリしました。

 この本は小説なのですが、まるでノンフィクションを読んでいるような気持ちにさせてくれます。関東大震災や太平洋戦争、そしてアメリカ軍による接収という歴史を経て、今も生き続けている東京會舘の歴史は、そこで働く人たちのたゆまぬ努力のたまものなのですね。

〇クライスラーの演奏会
 葉加瀬太郎さんの「クライズラー&カンパニー」って、このクライスラーさんの名前からとったものだったんですね。オーストリア出身のバイオリニストで、来日した際には帝国劇場で演奏したのです。

〇最後のお客様
 會舘は接収され、大政翼賛会の中央本部が置かれました。それに伴い、1942年から1945年まで「大東亜会館」と改称されたのです。

〇灯火管制の下で
 戦時中に結婚式を行うのはとても大変なことでした。それでも、ここで結婚式と披露宴を行えるのは、ごく恵まれた人々だったのです。

〇グッドモーニング、フィズ
 終戦後、日本に進駐した米軍のためのクラブ「アメリカンクラブ・オブ・トーキョー」となって、東京會舘は少しずつ昔の姿を取り戻していったのです。

〇しあわせな味の記憶
 米軍の進駐が終わり、やっと東京會舘として営業できるようになりました。會館でお食事などをしていただくだけでなく、お土産として持ち帰れるお菓子を作れないかという企画が持ち上がったのです。

 東京會舘へは、友人の結婚式で1回だけ行ったことがあります。建物の立派さ、お食事のおいしさ、そして建物内の調度の素晴らしさに驚いたことを覚えています。こんな歴史があると知って、改めて行ってみたくなりました。

 1640冊目(今年178冊目)

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