生きるって?
今年同い年の友達が亡くなりました。彼の生き様を見ていたら、いろいろと考えなければならないことがあるなぁって思えたのです。
余命いくばくという宣告をされて、でも治療にこだわり続けた彼。ずっと世話をしてきたお姉さん曰く「最後の放射線治療は、かえって死期を早めたような気がする。でも、本人がやりたいっていうから反対はできなかったのよね。」だったのだそうです。
「死にたくない」ということと「残りの日々をどう過ごすか」を考えた時に、少しでもやり残したことをやり遂げようと思うのか、とにかく生きていたいと思うのか、それとも諦めちゃうのか、それは個人の自由なんですけど、自分がそうなったらどうするんだろう?って考えてみました。
わたしは「最後はおだやかな日々を過ごすだけでいい」と思っているので、延命措置のたぐいはすべて断るつもりでいます。こんな治療があるよとか、こんな薬があるよって、言ってくる人がいるでしょうけど、そういう声は徹底的に無視しようと思っています。それは何故かと言えば、どんな状況であれ、その状態を招いたのは自分のせいだから。自分の生き方がそうであったのだから、それをそのまま受け入れていこうと思うのです。
だからこそ、元気な今のうちにやりたいことをやっておかないといけないなって思います。体力がなければ、気力がなければ、やりたいことはできません。
そして、そういう体力・気力が衰えた後、心がけなければいけないのは「お願い上手」になることだと思うのです。何でも自分でやろうってことができなくなったら、誰かにお願いするしかないんです。そこで意地を張ったってしょうがないのにねぇ、みんな意地張るんだよねぇ!亡くなった友人も、両親もそうでした。
自分にできない事は、誰かにやってもらえばいいって、たったそれだけのことなんだけど、意外と難しいのは何故なんでしょうね?
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