『家族という病』 下重暁子
家族だから分かっている。家族だから我慢するのが当たり前。家族だから一緒。家族だから・・・
家族として同じ家に住んで、ずっと一緒に暮らしているはずなのに、家族のことを全然分かっていなかったと気付く時があります。それは、子供が反抗期になった時かもしれないし、親が年を取ってしまった時かもしれないし、自分が大黒柱だと思っていた人が定年退職した時かもしれません。
それは、突然やってくるように見えて、実はずっとそこにあった事実なのです。相手がどんなことを考えているとか、どんなものが好きだとか、想像すらしなかった結果なのです。
親は子供に期待し、子供は親に依存し、という力関係がかつてありました。でも、親が年を取って、その関係が逆転してしまうのです。子供は親にこのくらいできるだろうと期待し、親は子供の力なしには何もできなくなるという時がやってくるのです。
その力関係の逆転にどちらもが驚くのです。そして、こんなはずじゃないと思うのです。その時に、自分は家族のことを何も知らなかったとお互いに気が付くのです。
親子であろうと、夫婦であろうと、それぞれは一個人なのです。別の人間なのだからお互いに歩み寄らなかったら、分からない事ばかり。お互いに知ろうとすること。お互いに認めあうこと。それなしには何も始まらないのです。
いろいろなことを考えさせられる本でした。
1694冊目(今年232冊目)
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