『「歌だけが残る」と、あなたは言った』 深田太郎
日本の歌謡史に燦然と輝く作詞家「阿久悠」の長男である深田太郎氏が「知らざれる阿久悠の日常」を一冊の本にされました。
広告代理店でテレビ番組やCMの企画制作をしていた深田公之氏は、阿久悠というペンネームでテレビ番組の台本を書き始めました。それと並行して作詞活動も行っていました。デビュー作はザ・スパイダースの「フリフリ」のB面「モンキー・ダンス」でした。会社を退職し、主に放送作家として活動していましたが、1970年「白い蝶のサンバ」「ざんげの値打ちもない」がヒットし、作詞家としての評価が高まりました。
日本レコード大賞での大賞受賞曲は作詞家として最多の5曲(1976〜1978は3年連続受賞)。
- 1971年「また逢う日まで」尾崎紀世彦
- 1976年「北の宿から」都はるみ
- 1977年「勝手にしやがれ」沢田研二
- 1978年「UFO」ピンク・レディー
- 1980年「雨の慕情」八代亜紀
その他にも「ピンポンパン体操」「ジョニィヘの伝言」「熱き心に」など、数多くのヒット曲を生み出しました。作詞をあくまでも仕事として考えていた阿久悠氏は、1曲2時間で書いていたのだそうです。資料などは普段から集められていたのでしょうが、それにしても仕事が早い!!
阿久悠の息子であるということへの反発もあり、でも父親としては尊敬している複雑な思いを抱いていたであろう深田氏ですが、現在は阿久悠が残した偉業を後世に伝える活動をされています。
この本の中に登場する曲はどれも懐かしく思い出すことができるものばかりでしたが、その中でも「気絶するほど悩ましい」でデビューした Char の話はとても興味深かったです。
絵を描くことが好きで、映画も大好きで、ありとあらゆる好きなことをやり抜いた方だったんだなぁと感じました。
1739冊目(今年44冊目)
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