『北斎になりすました女 葛飾応為伝』 檀乃歩也
女や街の看板娘を描いた美人画や歌舞伎の役者絵や相撲絵は、今でいえば雑誌のグラビア。東海道五十三次や富嶽三十六景のような名所絵はテレビの紀行番組や旅行ガイド。物語の名場面を描いた物語絵は映画のようなもの、絵暦はカレンダーで、度々ご禁制となる枕絵と呼ばれた春画はエロマンガやアダルトビデオ、戯作や滑稽本の挿絵も手がければ、店先の看板から広告、かわら版、厄除けのお守りまで絵に関することならなんでもこなした。(本文より)
腕のいい絵師なら仕事はいくらでもあって、歌川広重などは弟子を大勢抱えてたくさんの仕事をこなしていました。今でいえば、アシスタントさんを大勢抱えている漫画家のような感じでしょうか。でも、北斎はそういう人ではなかったのです。弟子にしてくださいという人はかなりやってきたらしいけど、何を教えるわけでもなかったので、ほとんどの人が短期間で去ってしまったそうです。
そんな中で、ただ一人北斎のそばで仕事をし続けたのが娘の栄(応為)でした。北斎自身も、女性を描かせたら応為の方が上手いとまで言っていたというほどの技量のある絵師だったのですが、彼女の名前ではなかなかお金が取れない。北斎というブランドであれば、仕事も来るしお金も取れるということで、北斎の仕事を手伝っていたようです。中には応為が絵を描き、北斎が落款を書いただけと思われる作品もあるそうです。
北斎という人は絵を描くということには異常な情熱を持った人でしたが、それ以外のことにはまったく興味がなく、炊事掃除洗濯どころか片付けも大嫌いで、ゴミ屋敷のような家に住んでいたそうです。娘の応為も、そういうところはそっくりで、2人でひたすら絵を描いていたようなのです。そんな不精な北斎ですから、娘の名前を呼ぶことなどなく「おーい」と呼んでいて、それに漢字をあてて「応為」という雅号にしたとか。そんないい加減な付け方をされた名前を、嫌がることなく使っていた「応為」は、不思議と父親とうまがある人だったのでしょうね。
北斎が亡くなってから、応為は自分らしい絵を描くようになって、その素晴らしさは格別なものがあります。いい意味で女性でないと描けない繊細な雰囲気を持つ絵だなと思います。
この本の中で紹介されたエピソードで面白いなぁと思ったのが、シーボルトとの関りです。シーボルトは日本の様々な物を記録するために川原慶賀という絵師を雇っていました。まるで写真の様にシーボルトに指示されたものを描き続けていた彼は、自身が絵を描くだけでなく、日本人絵師に肖像画を書かせたりするような、オランダ人相手のブローカーのような仕事もしていたようです。彼を通じて、シーボルトは北斎に絵を発注しているのです。
川原慶賀については、ねじめ正一さんの「シーボルトの眼」という本で詳しく書かれているので、興味ある方はご一読ください。
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