『古関裕而の昭和史 国民を背負った作曲家』 辻田真佐憲
朝ドラ「エール」がただいま中断中なので、その間に古関裕而さんの勉強をしておこうと、この本を読んでみました。
古関さんは生涯に数千曲の作曲をしたという大作曲家なのです。楽器を弾きながら作曲するという感じではなく、頭に浮かんだ音を五線譜に書き取るというタイプの方だったようです。ですから、思い立ったら列車の中でも曲を書いていたそうです。地方へ行ったときなど、気になる音楽があると、その場で採譜していたというくらいですから、音楽に関してもの凄い才能がある方だったのですね。
コロンビアレコードに入った時にもらったお金は前払い金で、ヒット曲がないと借金を返せないという状態だったようです。それがやっと解消されたのは「船頭可愛や」がヒットした時。この曲から印税をもらえるようになったという転機の一曲だったんですね。
その後、数多くの軍歌を書き、東南アジアへ慰問しにいったり、ラジオ番組に出演したりしています。かなり危ない場所へも行っているし、自宅近くに空襲があったり、子どもたちは福島へ疎開させたけれど、小関さん本人は東京で仕事をし続けていました。
戦後、菊田一夫さんとのコンビのラジオドラマの仕事が、古関さんの新しい世界を広げていきました。「鐘の鳴る丘」や「君の名は」などが大ヒットしています。音楽で使用されていたハモンドオルガンは、最初は別の方が弾いていたのですが、菊田さんの脚本がいつも遅く、それに伴って曲を書くのがいつもギリギリとなり、古関さん本人が弾くことになったのだそうです。
歌謡曲などの商業音楽の作曲だけでなく、校歌や応援歌、会社の社歌などもたくさん作曲されています。皇宮警察学校の校歌や、山一證券の社歌など、さまざまな曲を作られているのです。頼まれると嫌と言えない性格だったのでしょうかね。その多作さにはビックリしてしまいました。
その時代に求められるもの、人々から求められるものを作るということが古関さんの生きがいだったのかもしれません。
穏やかな人柄や、細かいことに文句を言わない実直さが、仕事を一緒にする人たちから好かれていたのでしょう。それこそが古関さんの才能だったのかもしれません。
1831冊目(今年136冊目)
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