『読書の価値』 森博嗣
本を読んだ時の体験は、人それぞれで違っている。自分と同じものを他者も見ているわけではない。そして、その自分だけの世界を思い描くことこそが、読書をする価値なのである。それは、世界であなただけが見ることができた世界なのだ。
したがって、本を選ぶのは、やはりあなたしかいない。自分で自分のために本を手に入れる。自分で選んで自分にプレゼントする。読み終わったときに、それが面白かったら自分に感謝する。もし面白くなかったら、次から気をつけてね、と自分に注意をする。そういうことである。これが、読書体験そのものなのだ。本を読んでいる時間だけではなく、本を選ぶところから、すでに読書は始まっている。(本文より)
読書とは個人的な体験なのです。同じ本を読んでも人によって感じ方が違うのです。面白いと感じるところ、つまらないと感じるところ、すべてが違っているのです。なぜなら人はすべて違う生物であり、違うものを見ている、違うものを感じている、違うことを考えているものなのです。
だから、誰かが面白いといった本を読んでみても面白くなかったり、自分はこんなに面白いと思って他人に薦めたのに、つまらなかったと言われたりするのです。それでも、読んでもらえたならまだ良い方で、その本の題名すら覚えてもらえないことの方が多いのです。
森さんは、ちょっと変わった方だとは思っていましたが、この本を読んで分かったのは、ちょっとではなくかなり変わった方なのですね。子供の頃から本を読むのが異常に遅くて、その原因が良くわからなかったのだけど、中年になってから自分は遠視だったということにやっと気づいたのだそうです。
近くの文字が見えにくいから本を読むのがタイヘンだったのだということ気づき、老眼鏡をかけたら文字を読むのがとても楽になったので、安い老眼鏡をたくさん買ってきて、家じゅうに置いてあるそうです。
こういう発想がやっぱり常人じゃないなと思うのです。老眼鏡が便利だと分かっても、普通の人は1つしか買いません。それをどこに置いたのか忘れて探し回り、探している間に何を読もうとしたのか忘れてしまうというのが、よくあるパターンですよね(笑)
森さんが萩尾望都ファンだという話はとても面白かったです。「ポーの一族」にはまり、「トーマの心臓」に心奪われ、雑誌に掲載されていた萩尾先生に関するページをすべてスクラップしていたというのは凄いなぁ!漫画は書くのも好きだったけど、萩尾先生の作品を読んで自分には無理だと諦めたというのも、ファンだからこその心理なのかなと思ったのです。
本を読むことも楽しいけれど、自分が読みたいと思う本を探すところから読書は始まっているのだという森さんの言葉がとても印象に残りました。
読書は自由なもの。何を読もうが、何を感じようが、自由なのです。だから、細かいことは気にせずに、面白いと思う本を読みたまえ!と背中をポンと叩かれたような気持ちになる本でした。
1876冊目(今年181冊目)
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