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『水のように』 浪花千栄子

水のように

浪花千栄子(なにわ ちえこ)

 4歳で母を亡くし、8歳で奉公に出され、学校へはほとんど通ったことがない千栄子さん。当時奉公に出される子でも、ほとんどの子は尋常小学校を出てからだから10歳以上になってから奉公に出されていた中、ひときわ幼い子だったのです。

 とにかく使用人をこき使う仕出し弁当屋へ奉公し、必死に働きました。すぐに逃げ出してしてしまう人もいるくらいのこの店で、彼女は8年も務め続けたのです。この店を離れることになったのは、父親が次の奉公先を見つけてきたからなのです。

 次の奉公先で給金をもらえないことに気づいた千栄子さんが、店主に聞いてみたところ、給金は前払いで父親が持って行ってしまったというのです。でも、この奉公先の人は千栄子さんのことをとても気に入ってくれていて、あの父親から逃げなさいと忠告してくれたのです。

 そして、自分の人生を自由に決めていいのだと気付いた千栄子さんは、京都へ行き、そこから女優への道が開けていくのです。

 女優になったきっかけも、映画に出演することができるようになったきっかけも、偶然のようでもありますけど、千栄子さんの強い気持ちが引き寄せたものなのだと思えてきます。とにかく愚直なまでに正直で、前向きな、より良いものを求める、強い意志が良くも悪くも浪花千栄子を支えていたのだと思います。

 そして、どんなときにも、どんな人にも、感謝の心を忘れなかったことが素晴らしいと思います。どんな経験も無駄にしないという気持ちの表れなのでしょうね。

 わたしの記憶にあるのは「大阪のおかあさん」になってからの浪花千栄子さんですけど、そこに至るまでの苦労の数々に驚くばかりです。それでも、子供時代の苦労に比べたら大したことはないと思ってたのかしら。常に素晴らしい演技を求め、努力し続けた人生でした。それで寿命を縮めてしまったのかもしれません。1973年(昭和48年)66歳で急死されました。

 この本の初版は1965年に出版されています。長いこと絶版になっていたようですが、朝ドラ「おちょやん」の原作として2020年に復刊されました。TVドラマで描かれているより何倍もすさまじい人生だったのだなと驚くことばかりでした。

1992冊目(今年12冊目)

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