『「読む」って、どんなこと?』 高橋源一郎
最近、本離れが進んでいるとか、読解力が低い人が増えているとか、「読む力」について気になるニュースをよく見かけます。言葉による暴力とかヘイトスピーチとか、ことばの暴力もとても増えています。その根底にあるのは、ちゃんと読むことができていないのではないか?読み方を理解できていないのではないか?と思って、この本を読んでみました。
小学校一年生の国語の教科書には、こんなことが書いてあるそうです。
「だれが どんな ことを したか かんがえて よむ。」「おはなしの すきな ところを 見つける」(あたらしいこくご 一 下)
文章をただ読めばいいのではないと、小学校一年生の教科書に書いてあるのです。そして、文章の嫌な所ではなく好きな所に注目してねというのです。すごいなぁ、この2つだけで十分だなぁって思います。
けれど、実際にはそれができない大人が大量に存在しているのです。ということは、ちゃんと教えてくれてないのかなぁ?
誰だって、いいといいそうな文章ではなく、
それを読んでいると、不安になったり、それを読んでいることを隠したくなったりする、
つまり、問題山積みで、できたら近づきたくないような文章、
そういうものこそ、「いい文章」だ、とわたしは考えています。
高橋さんは、更に攻めてきます。教科書に載るような「誰もが良いという本」ではなく「何か引っかかるところがある本」を読んで欲しいというのです。その何かが、自分に訴えかけてくるのです。これを読んでいいのかなぁ?こんな目に遭ったら困るなぁというような気持ちを持たせてくれる文章こそが素晴らしいというのです。
ミステリーを好きな人は、実際にそんな目には会いたくないけど、スリルを味わいたいという気持ちを満足させてくれるから、熱心に読むのですよね。歴史ものも、伝記も、その人になったような疑似体験が楽しいですよね。だから、チョイ悪な本、人によっては極悪な本が求められるわけです。
ドラマや舞台のように具体的なビジュアルを見るのも楽しいですけど、読書の場合は自分の妄想で話を膨らませていくところが楽しいのです。妄想力が豊かになると、人生はもっと楽しくなるんだけどなぁ。それに気付かないのって、もったいない!
紙風船 黒田三郎(新しい国語 五)
落ちてきたら
今度はもっと高く
もっともっと高く
何度でも
打ち上げよう
美しい
願い事のように
わたしはこの詩を「赤い鳥」の歌で知ったのですが、今は五年生の教科書に載っているのですね。いいなぁ、長い文章を読むのと、詩を読むっていうのは、言葉の感じ方が全く違いますね。ことば一つ一つの意味を感じる「詩」という形態もステキですね。
わたしは高村幸太郎の詩が大好きで、「智恵子は東京には空が無いという・・・」とか「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」なんて、高校生の頃は一人で朗読してました。中原中也の「汚れつちまつた悲しみに」もカッコよかったなぁ。こういうのが教科書に載ってなかったら、知る機会がなかったものね。
教科書に載っていたたくさんの文章の中で、たった一つでも記憶に残るなら、それは意味のあることだと思うのです。それを心の糧にして生きていくことができるんですもの。
読む、感じる、考える、そうやって自分が構築されていくんですね。この本を読んでみて、良かった!
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