『今までにない職業をつくる』 甲野善紀
「もの作り王国日本」と言われた日本の職人技術も、多分に幼いころから起用に刃物を使ってものを作っていたことが影響していると思います。それが現在のように、刃物を目の敵にして子どもたちからこれを遠ざけていたら、優秀な外科医や歯科医が育たないのみならず、日本の国をこれから最も根本的に支えていかなければならないといわれている、そうしたもの作り産業に従事する優秀な人材が育つ目を摘み、育つ土壌を失くしているということになります。(本文より)
わたしが子供のころ、女子は母親の手伝いをするのが当たり前でしたから、小学生で包丁を持ったことがない子というのはほとんどいませんでした。男子だったらお父さんの日曜大工の手伝いをしたり、釣りにいったりして、結構刃物を使う場面は多かったと思います。今はそういう機会が減っていますからね。ねじも回せなければ、釘も打てないのが普通になってしまいました。
手先が器用というのは天性もありますけど、訓練である程度は何とかなります。手仕事をするといろんな工夫をしたくなるから、今どきの言葉で言えばクリエイティビティが上がるはずです。勉強だけしていても、こういう能力は生まれてきませんよね。
日本の伝統的技の習得法として、かつては職人などの許に弟子入りのために入門した若者が、入門してしばらくの間は親方や兄弟子から具体的な仕事については何も教えられず、仕事場の掃除やその他雑用などをさせられるということがよく行われていました。現在はこうした教え方は意地悪なこととみなされ始めているようですが、私はこの教え方にはじつは深い意味があったのではないかと思っています。
つまり、こうした「技は盗め」という教え方には、入門してきた弟子に失敗体験をさせないという意味があったように思うのです。
失敗体験をさせないとはどういうことかと言うと、入門してすぐその親方や兄弟子のやっていることを真似すれば、当然のことながらうまくはいかず、「これはとても難しい、大変な技術だ」という思いが意識の底に深く刻まれてしまいます。しかし、現実に道具などを使ってその技術を試しているわけではなく、頭の中で「ああだろうか?こうだろうか?」とシミュレーションをしているだけであれば、その限りにおいては失敗という経験をすることはありません。
これは、とても興味深い考察だと思います。何も教わっていないようでいても「門前の小僧習わぬ経を読む」なのです。自分の近くにいる人の行動を観察し、真似するということは、よくあることです。そういう観察をできない人でもマニュアルがあればという話になるのかもしれませんけど、上手くできる人の真似をしようするところから、進歩が生まれるのだと思います。それは職人の技術でも、スポーツでも、料理でも、音楽でも、おしゃれでも、同じだと思うのです。
わたしが子どものころに、母からよく言われたのは「予行演習」が大事だということです。何をするにしても、いきなりやったのでは上手くいく可能性が低いのだから、前もって似たようなことをやっておくようにと言われたのです。
どんなことだって、初めてやるときには緊張します。手順が悪かったり、材料が不足していたり、なかなか上手くいきません。でも2度目になると、格段に簡単になってしまうんです。すると作業時間も短くなるし、見栄えも良くなります。
どれだけのクオリティを求められるのか?上手な人はどういう所が上手なのか、そういう観察力を養うことの大事さを、子供のころから教わってこなかった人に、どうやって教えるのか?それこそが、現代の課題であるような気がします。
理屈ばかりの世の中で、甲野先生は自分の身体で体感することの重要性を語ってらっしゃいます。これまで、これが当たり前だと信じ込んでいたことが覆されたとき、その人の生き方は変わるのです。
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