『死を語る』 中村うさぎ 佐藤優
佐藤 キリスト教を究極的に考えると、死ってあんまり意味がないんですよ。
中村 どうして?
佐藤 だって、単に眠りにつくだけで、みんな復活することになっていますからね。いわゆる不死体です。そこで、「合理的とはいえ薬を注射する安楽死や尊厳死をよく平気でやれるな」ってかんじるんですが、カルヴィニズムが徹底していて信仰がものすごく強い土壌だからこそ、逆に「安楽死は怖くないんだな」って思えるんです。
中村 なるほど、死は「肉体の死」でしかないわけですね。結局、イモータル(不死)なんですね。
佐藤 オランダなどでは、多くの人たちがそういう風に思っているからこそ、安楽死に抵抗がないんですよ。(本文より)
自殺をどう捉えるかは、結局は宗教観の問題なのかなと思えました。ここではキリスト教の死生観ですけど、イスラムでも似たような考え方があって、たとえば戦いのために自爆するのは殉教という扱いなのです。
うさぎさんは自殺を考えたこともあったと告白しています。病気で思ったように体が動かなくなって、ドアノブにタオルをかけて首を吊ろうとしたけど、手が思うように使えない状況で、タオルをちゃんと結べなくて、だから死ねなかったと。若いころならベランダから飛び降りちゃおうかとか思ったこともあるけど、身体が不自由になると自殺もできないんだよとボヤいています。
私は結婚してからも誰憚ることなく好きなように生きてきたから、「誰かのために生きる」などと考えたこともなかった。私は私のために生きるし、夫も自分のために生きて欲しい。私たちは夫婦ではあるが別々の人間だし、互いに依存しあって生きているわけではない、と考えていたのだ。
が、そうではなかったのである。夫はずっと私のために生きていたのだった。私が病気になる前から、ずっと。これには、正直、驚いた。そしてまた自分も、夫を置いて勝手に死んではいけないのだと気づき、「なるほど、家族の意味はこれか」と考えた。
2013年にうさぎさんは心肺停止など生死の境をさまよい、この対談の時点では車いす生活をしていました。この文庫版が出版されたころには夫の力を借りて杖をついて歩けるくらいに回復されているそうです。病気後に気がついた夫がいるというありがたさを語るようになったのです。だから自殺なんてもう考えられないというのです。
この2人の対談は、最初は別のテーマでの予定だったのですが、うさぎさんが倒れたことによってテーマが「死」に変わったのです。生物としての死と直面したうさぎさん。社会的な死に直面した佐藤さん。その対話は、不思議なほどにかみ合っているのです。
死を自分の個人的なことと考えるのか、家族や友人などの関りとして考えるのか、それぞれの考え方が生まれるのは当然のことです。これまでは死が遠くのものだったのに、コロナ禍によって、ぐっと身近に感じるようになった「死」について、考えることはいろいろありますね。
最後の方で佐藤さんが話していたペストの話が興味深かったです。100年前にペストがはやった時、ユダヤ人居住区だけがペスト感染率が低くて、そのせいでペストをはやらせたのはユダヤ人だという考えが生まれ、ユダヤ人迫害につながったというのです。実際にはユダヤ人地区では猫が多いのでネズミの数が少なかったのです。ペスト菌はネズミが媒介となっていたので、ネズミが少ないこの地区だけがペストが流行りにくかったということなのです。
こういう事実が世間にあまり知らされていないのは、何故なのでしょうね。こういうことは軽く見られてしまっているのかしら?だとしたら、とても怖いことだと思うのです。
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