『屋根をかける人』 門井慶喜
1905年、ウイリアム・メレル・ヴォーリズは、アメリカYMCAよりキリスト教伝道者として日本に派遣されてきました。当時24歳のメレルは、近江八幡の商業学校の英語教師となったのです。生徒たちからの人気は高かったのですが、2年後に突然解雇されてしまったのです。
ここでメレルさんは、とてつもない転職を思いつきました。以前から興味があった建築の仕事をすることにしたのです。当時は珍しかった西洋建築の需要があると見込んだのです。最初はほぼ素人だった彼ですが、仕事をしながら少しずつ勉強をし、より良い建築物を作っていったのです。
メレルさんの転機は広岡浅子さんとの出会いだったと思います。彼女が設立した大同生命の社屋の建設を依頼されたのです。その建物が気に入った浅子さんは私邸の建設も依頼しています。でも、それ以上に大きなご縁は、浅子さんの姪である満喜子さんとの出会いでしょう。アメリカ留学から帰ったばかりの満喜子さんとメレルさんは意気投合し、後に結婚されます。
建築家として大成功されたメレルさんですが、もう一つ有名な事業を起こしています。あのメンソレータム(現メンターム)を製造・販売する近江兄弟社を創業したのです。
建築と薬、この2つの事業で成功したメレルさんは「青い目の近江商人」と呼ばれるようになったのです。
第二次世界大戦が勃発し、メレルさんは敵国人として特高から目を付けれられるようになってしまいました。生涯日本で暮らしたいと考えていたメレルさんは、1941年に日本に帰化し「一柳米来留(いちやなぎめれる)」という名になりました。
「私はいまや、あなたたちよりも日本人です。なぜなら私は、日本人であることを選んだの対し、あなたたちは単にここで生まれただけなのだから」(本文より)
この小説はほぼ史実をもとにしているので、メレルさんの伝記という気持ちで読み終えました。最初はかなりハッタリで仕事を取ったりしてましたけど、自分の足りない部分は誰かに助けてもらうという謙虚さ、約束を守る誠実さ、そういう部分が多くの人を惹きつけたのでしょうね。
戦後、マッカーサーと昭和天皇が登場するところでは、彼を信頼する人たちの代弁者として、メレルさんにしかできない大仕事をしてくださったのです。差別されようと、苦労しようと、まっすぐに生き続けた彼は真の日本人だったのです。
メレルさんが手掛けた建築物は、大阪大同生命ビル、各地YMCA施設、関西学院、同志社大学、神戸女学院、国際基督教大学、東洋英和女学院、大丸大阪心斎橋店、山の上ホテル、軽井沢避暑団クラブハウス、等々1,600にも及ぶのだそうです。
2083冊目(今年103冊目)
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