『ねこマンガ 在宅医たんぽぽ先生物語 さいごはおうちで』 永井康徳 ミューズワーク(ねこまき)
看取り前に点滴をやめることには四つの意味がある
1つ目のポイントは「食べられないから死ぬ」のではなく、「死ぬ前だから食べられなくなっている」ことを理解することが大切です。
2つ目は、見取りに近づいた患者さんの身体にとって、点滴は過剰な水分となり、うまく処理できなくなっていることを知っていただきたいです。
3つ目は、点滴をしても元気になるわけではなく、多すぎる水分はだ液やたんとなり、患者さんを苦しめることです。それがわかれば点滴をしない選択も考えられるでしょう。
そして4つ目は、「点滴をやめることで、最期まで食べる支援が可能になることです。点滴をしなければたんを吸引する必要がなくなります。そうなれば、患者さんの食欲が出て、食べたいものを、食べられる形態で食べたいときに食べる、積極的な食支援ができるようになります。(本文より)
介護はいろいろと大変なことがありますが、最終的にすべての方が最期を迎えるわけです。なのに、その点についてこれまでは余りにも考えないで来てしまいました。介護される方本人の希望よりも、介護する側のエゴが前に出てしまうことがとても多いのです。ご本人の意志とは無関係に「死なせない」ことばかりをやってしまってよいのでしょうか。それによって、ご本人を無駄に辛い目にあわせてしまっているかもしれないのです。
どんな状態であっても身体に栄養を補給することは大事です。でも、点滴や胃ろうに頼ってしまって、自分の口から食べるということをないがしろにしがちなのが、今の日本の医療の悲しい所であると思います。
少しでも自分の力で食べることや、やりたいことをやることが、生きる希望につながるのだということを、この作品は教えてくれました。
わたしの父の最期のころのことを思い出しました。父は在宅介護で、週に数回ヘルパーさんが来て、月に数回病院へ行くという生活でした。毎食、ごはんやうどんを自分の力で食べていました。おかげで点滴のせいでたんが詰まるなんてこともなく、割と好きなものを食べて最期の時を迎えられたので、今思えば幸せな亡くなり方だったと思えます。
ただ、救急車で病院に運ばれてから、死因がなかなか決まらずに父と2人で深夜の病室で待たされた時間はとても不思議でした。父と2人っきりなんて久し振りよねって、父に話しかけたことを思い出しました。次の日、検死のために警察署へ連れていかれたのは予想外でしたけど、あれも一つの経験かなと思います。この本でも説明されているように、普段からお医者さんと連携が撮れていれば、そんな事態にならずに済むのです。当時(13年前)はそんなことは知りませんでした。
家族がいなくても在宅介護が可能であることなど、最期を迎えるまでをどう過ごしていくのか、人生会議をちゃんとやっておく必要性を強く感じました。とても、いい本でした。
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