『左足をとりもどすまで』 オリバー・サックス
サックス氏はノルウェイの山中で転落し、左足を大けがしたのです。医師である彼は、夜になる前に人のいるところまで下山しないとまずいと判断し、痛い足をかばいながら必死に下山します。運よく狩りに来ていた親子に助けられて病院へ運んでもらうことができました。
彼の左足は「大腿四頭筋切断」という重症でした。手術によって切れた部分をつなぎ合わせ、ギブスをはめられ入院生活が始まりました。
病院の医師は手術は成功したというのですが、本人はどうにも納得できないのです。なぜなら、自分の左足が自分の身体につながっているという感覚がなくなってしまったのです。それを訴えても、誰も取り合ってもくれません。
ベッドで起き上がってギブスに覆われた左足を見ることはできます。でも、筋肉を緊張させようとしても力が入らないのです。寝ているうちに左足だけベッドの外へ出てしまっていても、それに気づかないのです。
これまで医師として働いてきて、似たようなことを患者から言われたことをサックス氏は思い出しました。そうか、あの時はわからなかった自分の身体のイメージが消えてしまうという現象は、こういうことなのだと理解し始めました。
歩行訓練が始まった時にも、さぁ歩いてみてくださいと言われても、左足の出し方がわからないのです。療法士に「こうやって足を蹴りだすんですよ」と動かしてもらって、やっと1歩目が踏み出せたのです。
医学的には動けるはずなのに、身体を動かすイメージを忘れてしまったために動けないというのは不思議です。一旦寝たきりになってしまったら、もう動けないという事態に陥るのは、これが原因なのかもしれません。
かなり動けるようになった時点で、サックス氏は膝が余り曲がらなくて歩きにくいと医師に相談しました。すると、水泳がいいんじゃないかと勧められます。彼は医師に紹介されたプールへ行きました。どうやって泳ごうかとプールの監視員に声を掛けたら、いきなりプールに突き落とされました。
「何をするんだ!」と監視員の青年を追いかけて必死に泳いでいるうちに「あっ、泳げる」と気がついたんです。そして、プールから上がると普通に歩くことができるようになっていたのです。これは相談をした医師が仕掛けたことだったのです。こういう治療法もあるのだと思ったら、楽しくなってきました。
医学的には治っていても、精神的に何かがひっかかっているために症状が治らないということは、患者の話を聞いただけでは理解しがたいことです。サックス氏は自分の体験を、その後の治療に役立てたのでしょう。
「いつも患者の言葉に耳を傾けなければならない」この大事なことを、彼は自分の左足の怪我から学んだのです。
患者としての苦悩と、医師としての気づきが、とても素直に書かれていて実に面白い本でした。
2148冊目(今年168冊目)
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