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『これが「日本の民主主義」!』 池上彰

これが「日本の民主主義」!

池上彰(いけがみ あきら)

集英社文庫

ナツイチ2021

日本は「安全より安心」を求めるあまり、対策が過剰になるところもあります。(p89)

 海外では大丈夫だと言われていても、国内での調査をしなければ安心できない体質が日本には間違いなくあります。新型コロナのワクチンの認可は、これまでのことを考えればかなりなスピードで実現できました。やればできるんです。なのに、これまでやってこなかったのは、誰のせいなのでしょうか?

 誰も責任を取りたくないから?前例がないから?目立つとどこからか非難されるから?

 安心感というのはとても大事なことです。安心させてくれる説明をみんな待ち望んでいるのです。ただ時間をかければいいということではありません。今どうなのかをみんなが知りたがっているです。丁寧な説明というのはそういうことなのに、説明したがらない人がいます。説明してくれない人のことはだれも信用しないのです。だから、そういう人のことを誰も助けれくれません。ご自分で言った通り、自助なさればいいのです。

 

2016年2月8日の衆議院予算委員会で、高市早苗総務大臣がこう発言しました。「放送事業者が極端なことをして、仮にそれに対して行政指導をしても全く改善されずに公共の電波を使って繰り返した場合に、それに対して何の対応もしないということを約束するわけにはいきません」
さらに9日にも「将来にわたって罰則規定を一切適用しないことまでは担保できない」と「停波(電波停止)」の可能性をにおわせました。権力が放送に介入する可能性を堂々と表明する。いったい、ここはどこの国なのでしょうか。(p150)

1967年、TBSは日本のテレビとして初めて北ベトナムに入り「ハノイ 田英夫の証言」という特別番組で、アメリカの北爆に備えるハノイ市民の日常をレポートしました。南ベトナムからのアメリカ寄りの報道だけでなく、北ベトナムの実情をレポートしながら戦争の是非を考える。
という内容のものでしたが、これを政府は「反米的な報道」と受け止め、政府自民党はTBSの幹部に対して、放送免許の更新負荷までほのめかし、圧力をかけます。
その結果、田英夫は「JNNニュースコープ」のキャスターを降板します。新聞社が、そして放送局が、権力の圧力に屈する。そんな汚点を残したのです。 (p155)

 高市氏の発言は、こういう事態を招く可能性が今もあるということを示しています。反対意見を押しつぶそうとするような人には「民主主義」を語る資格はありません。

 田英夫氏は、社会党から立候補し、35年間議員を務めました。社会党内で幹部となった田氏に、大橋巨泉氏が「田さんが党首になるのはいつだろうね?」とテレビ番組内で聞いたことがありました。世間もそんな風に考えていたころです。田氏はこう答えたのでした。「巨泉さんは、社会党という組織をわかっていない」自分が党首になることは不可能だと答えたのです。この会話を聞いていたわたしは、大きな疑問を持ったことを覚えています。

 

待機児童と言われる、認可保育園に入れない児童の数は、厚生労働省の発表でおよそ4万5000人。この4万5000人の子供には選挙権がありません。この問題に関して選挙権を持つのはその親たちで、およそ9万人。しかもその親たちの世代の多くを占めるであろう30代の投票率は、四割ほどです。つまり票の数でいうと、約3万6000票にしかなりません。
一方で65歳以上の人口は約3384万人、投票率も30代に比べてずっと高くなります。この差は一目瞭然で、政治家がどちらを優先した対策をとるかは、誰の目にも明らかです。しかし、将来国を背負っていく児童の問題より、数だけを見ての選挙対策が重要な政治家ばかりでは、明るい未来は見えてきません。(p200)

 こうやって数字で説明されてしまうと、ただ愕然とするばかりです。だから日本は変わらないんだということを実感します。でも、このままでいいはずがありません。こんなにも多くの老人を少数の若者が支える社会になるということは、ずっと前から分かっていたことです。なのに、新しいことを何もせずにいたから、いよいよ首が締まってきたのです。

 

 日本という国は、世界一よくできた社会主義だと言われることがあります。確かにそうだなぁと思います。民主主義のふりをしていますけど、社会主義的な「みんな平等」感を持っている人が多いのは確かです。その平等感に異常に固執する人たちがいます。ちょっと違ったことをしたら自粛警察から「あなたは良くても、周りの人が迷惑するのよ」とささやかれるのです。

 でも、本当の民主主義って「みんなちがって、みんないい」のはずです!

 日本がこれまでやってきたことは、「日本の民主主義」なのであって、それが世界の民主主義とは違うものなんだなってことに、日本人自身が気がつくというところから、すべてが始まるような気がします。日本がこれからどちらへ向かって進んでいくのかは、ひとりひとりが日本のありかたを真剣に考えるところから始まるはずなのですから。

2192冊目(今年212冊目)

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