『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』 戸部田誠
タモリを初めて見たのはいつだったろう?「空飛ぶモンティ・パイソン」のタモリのコーナーはかなり楽しみにしていた記憶があります。四か国語麻雀も、北京放送も、中洲産業大学のタモリ教授も、イグアナも、どれも大好きです。
初期のタモリは密室芸とか、夜のお笑いとかという認識の芸人で、みんな「タモリ」と呼んでいたけれど、「笑っていいとも」ですっかり昼も大丈夫な人になっていき、そして今は「ブラタモリ」で、周りの人たちから「タモリさん」と呼ばれる大御所(?)になっているのねぇ。
タモリの芸は、観察から始まります。他の人が気が付かない小さな面白さを増幅させる名人なのです。そして、決してオレオレではない人だというところも興味深いのです。他に面白いことをする人がいれば、その人にやってもらえばいいというスタンスを守っている人なのです。
紙に書いていこうと思っていたのが、前の日に酒を飲んで帰ったら面倒くさくなった。『赤塚さんならギャグでいこう』と白紙の紙を読む勧進帳でやることにした。
赤塚不二夫さんの弔辞は本当に見事でした。こういう形式ばったことは大嫌いなタモリだけど、大恩人の赤塚さんのために弔辞をああいう形で行うとはねぇ。赤塚さん、きっと喜んでくれたことでしょう。
レオ・レオーニ氏の来日と翻訳出版を記念して行われたレセプションで、大勢のイタリア人が見守る中、デタラメなイタリア語によるイタリア映画の一場面を披露。冒頭1分で爆笑を誘い、レオーニたちから大喝采を受ける。
それは計画されたことではなくて、偶然そのレセプションに参加できることになったタモリが即興でやった芸が、イタリア人に大うけしたという話は「徹子の部屋」でも語っていました。ハナモゲラなイタリア語で演じるイタリア人の日常、それを見ているイタリア人たちが馬鹿笑いしているって、想像しただけで楽しいなぁ。
タモリは番組を無理に盛り上げようとしないし、興味がないことにはどこまでも無関心で、嫌いなものは嫌いだとはっきり言う。番組を破綻なく進行させることよりも、ハプニングが起こることを期待する。すなわちプロフェッショナルであることに拘泥せず、アマチュアリズムに徹しているのだ。タモリは自らが「完成」してしまうことを嫌う。
最近、タモリの司会がやる気がなくてつまらないなんて書いてる人がいましたけど、彼の本質を知らないからそんなことを言うんですよね。頼まれた仕事はするけれど、それが面白くないからといって、わざわざ盛り上げようとはしないというのが基本スタンスなんだから、しょうがないんですよ。
タモリが面白くしてくれるだろうなんて期待しちゃいけないんです。タモリが面白がっているところを面白がる、つまらなそうにしていたら、そうなんだ~って思う。
それでいいのだ!
2187冊目(今年207冊目)
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