『歩道橋の魔術師』 呉明益
1979年、台北。西門町と台北駅の間、幹線道路にそって壁のように立ち並ぶ「中華商場」。物売りが立つ商場の歩道橋には、子供たちに不思議なマジックを披露する「魔術師」がいた――。
現在の「ぼく」「わたし」がふとしたきっかけで旧友と出会い、「中華商場」で育った幼年期を思い出し、語り合ううち、「魔術師」をめぐる記憶が次第に甦る。歩道橋で靴を売っていた少年、親と喧嘩して商場から3か月姿を消した少年、石獅子に呪われ、火事となった家で唯一生き残った少女と鍵屋の息子の初恋……。人生と現実のはざまで、商場の子供たちは逃げ場所やよりどころを魔術師に求める。彼はその謎めいた「魔術」で、子供たちに不思議な出来事を体験させることになる。(書籍紹介より)
「中華商場」という小さな店が立ち並ぶ商店街があって、そこをつなぐ歩道橋にも物売りが大勢いた。焼き餃子屋、徽章店、趣味の切手屋、果物屋、眼鏡屋、テーラー、自転車修理屋、工具屋、様々な店があった。小さな店の上の階に家族で住んでいた。
1979年当時、親の世代には文字が読めない人もいた。子供たちはみな学校へ行っていた、学校から帰ったら店の手伝いはもちろんするし、他所の家の字が読めない親の代わりに小さな子どもの宿題を見てやることもあった。
歩道橋の上にはいつも魔術師がいて、いろんな魔術をやっていた。すごいなぁと感心して投げ銭を入れてくれる人もいるけど、大した稼ぎはないようで、いつも路地の奥で寝ていた。
大人になったぼくたちは、あの頃のことをいろいろと思いだす。欲しかったもの、暑い日に食べたスイカの甘さ、好きだったあの子、そして歩道橋の上の魔術師のことも必ず思い出す。
外国の話なのに、なぜか懐かしさが胸に溢れてきます。わたしが育った町では、友達の家はほとんどが今でいう個人事業主で、お店や町工場や職人仕事をしていたのです。豆腐屋、牛乳屋、酒屋、肉屋、八百屋、プレス工場、メッキ工場、製缶工場、制服屋、大工、鳶、飲屋、あんみつ屋・・・。
それぞれの家のなりわいが一目でわかったのです。だから、この本に登場する人たちがみな、あの頃の友達の家の人たちのように思えるのです。
夏休みにスイカ割りをして、スイカを食べながら種の飛ばしっこをしたことや、公園で花火をしたことや、材木屋の木の香りも、肉屋でコロッケにソースをかけてもらって食べたことも、なぜか脳裏に浮かぶのです。
今よりも不便なこともあったけど、小さな幸せを積み重ねて生きてたんだなぁ。
あの魔術師はどこへ行ってしまったのでしょうか?
遥か異国の地で見かけたあの「紙でできた黒い小人」は彼が作ったものとそっくりだったけど、でも操っていたのは別の人。
あの魔術師の魔法はまだ何処かで生きているのでしょうか?
2255冊目(今年275冊目)
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