『壊れた脳 生存する知』 山田規畝子
整形外科医として活躍していた山田さんは3度の脳出血で「高次脳機能障害」を発症してしまいました。リハビリによって日常生活を取り戻したかのように他人からは見えていますが、実際のところは、他人にはわかってもらえない様々な障害を抱えているのです。
例えば目で見ているものがきちんと理解できないという症状があります。階段があるということはわかるけど、それが上りなのか下りなのか見ただけではわからないのです。試行錯誤の結果、手すりにつかまっていけばいいとか、前を歩いている人の頭が低くなっていったら下りだと判断できるというようなことがわかってくるのです。
この文章を読んでビックリしました。「46年目の光 視力を取り戻した男の奇跡の人生」のマイクが体験したことにそっくりなのです。目に見える黒い部分が「黒いもの」なのか「影」なのかが彼には理解できないのです。こういう部分はそれまでの経験値で脳が判断して補正して見せている部分だから、それまでの経験値が少ない彼には、自分が見ている道に段差があるのか影なのかがわからないのです。杖でその場所を触ってみれば簡単に段差かどうかがわかるのに、視力だけで歩くことは彼にはとても難しいことだったのです。
たぶん山田さんはこの経験値の部分を喪失してしまったのではないでしょうか。ということは時間をかけて経験を積めば少しずつ回復していける部分なのでしょう。
短期記憶を保持するのが難しい、字が読めない・書けない、更に3度目の脳出血で右脳にダメージがあって左半身が動かなくなってしまったのです。単に手足が動かないというだけでなく、自分の左側が意識できないという症状も生まれてしまいました。食事のときにも左側に置かれたおかずが見えていなかったりするのです。トイレに座った時にも左側のお尻の感覚がないので、ちょっと体をひねろうとしただけで落下してしまったこともあります。
放っておくと自分の身体の左側はないことになってしまいます。左足で柔らかいボールを踏んでそれをどう感じるかというリハビリの話を読んで、こういう方法もあるのかと感心しました。山田さん自身、それまで無感覚だった場所に痺れたような感覚が生まれたとおっしゃっています。自分の身体のある部分に意識を向けることで、その機能が回復するというのは凄いことです。
高次機能障害では、子どもでもできるような簡単なことができなくなったり、思ったことをうまく表現できなくなるケースがよくある。だからといって、知能や精神まで子供に戻るわけではない。
認知症と明らかに違うのは、「自分が誰だかを知っている」という点だ。患者自身が自分を客観的に見つめることができるのだ。それに加えて、自分の行動にもかなりの自覚がある。理にかなわない行動をとったとしても、説明すれば納得するし、反省もする。その手間を省いていきなり怒っては、患者はただただあっけにとられるだけである。
しかも自意識があるから、悲しくもなる。その結果、回復への意欲も減退する。いいことは何もないのだ。だから、周囲の人はとくに気を使ってほしい。
大人としてのプライドは、心の中にしっかりと残っている。怒鳴られれば悲しいし、どうせ聞こえないだろうとベッドサイドでいやみを言われれば悔しい。人間としての誇りまで、どこか遠い過去に置き忘れたわけではないのだ。それを守るために、私たちは自分の障害と向き合い、落ち込みながらも、何とか頑張ろうとしている。そこのところをわかってもらいたい。ひとりの人間として扱ってもらいたい。
私自身が高次脳機能障害と生きている生活の中で、きれいさっぱり治ることは難しいのもわかるが、生命を拾ったその時を境にして悪くなっていく障害ではなく、良い方向に変化していくということを身をもって知り、回復は生きている限りずっと続いていくものと考えている。さらにいえば、回復はあきらめた瞬間に終わるものと思っている。(p204)
高次機能障害を持つ家族は確かに大変ですけど、むやみに「がんばれ」とプレッシャーをかけることも、「何をやってもダメだ」と罵倒することもやめてほしいという山田さんの言葉にハッとさせられました。本人はやろうとしているけれど、うまくいかないだけということがほとんどだし、プレッシャーに負けてしまうこともあるし、怒られてもできないものはできないのです。
ついこの間までできたのにという気持ちがそうさせてしまうのかもしれないけれど、一番辛いのは本人なんだから、マイペースでいさせてあげればいいんです。山田さんの息子さんも、お姉さんの夫でもある主治医の先生、勤務先の方たち、みんなの力を借りて少しずつできることが増えてきたし、その経験を生かして同じような障害を持つ方たちのカウンセリングを行っているって素晴らしいことです。
内科医であるご主人との生活がストレスを生み、それが機能回復の障害になっていたので離婚したという話は、とても残念に思います。積極的に手伝うことができなくても、見守ることすらできなかったのかと思ってしまいます。仮にも医師である夫が高次機能障害というものを理解できていなかったとしたら、そういう医師が世の中にはまだ大勢いるということの証であるような気がしてしまうのです。
様々な試行錯誤を重ねて生きている山田さんが持つ患者としての視点、医師としての視点、その両方が重なることはとても意義あることだと思います。これまで患者側から伝えられなかった部分をもっともっと多くの人に伝えてください。
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