『僕たちはどう生きるか』 森田真生
今回の感染症の拡大は無論、あくまでも人間にとっての危機だ。人間以外のほとんどの生物にとっては、このウイルスは何の脅威でもない。逆に、人間の活動の停滞によって、各地で大気汚染や水質汚染の大幅な改善が報告されている。(中略)
同じ出来事が、人間中心的な枠組みの外では、まったく別の意味を持つ。都市のロックダウンは、人間にとってはスムーズな生活の中断に他ならないが、人間でない生物の多くにとっては、人間活動の順調な作動こそが、平穏な暮らしを阻害してきた最大の要因なのである。
おなじことが、異なる存在、異なるスケールにおいて、まったく別の意味を持つ。だから物事の意味を、一つの尺度に閉じ込めてしまうわけにはいかない。(本文より)p27
新型コロナウイルスの登場によって、わたしたちの生活は急激に変わってしまいました。これまで何の疑いもなく行ってきたことを中止せざるを得ない状況となって、不自由な生活を強いられると感じる人が増えました。でも、それは悪いことだけではなかったのです。地球環境は明らかに良い方向へ戻ってきたのです。
ほんの100年前には電気に頼る生活はありませんでした。50年前、普通の家庭にエアコンはありませんでした。あっという間にわたしたちは便利な生活を作り出し、それを当たり前のこととして生きています。そのために地球にどれだけの負荷をかけてしまったのかを顧みずに、突っ走ってきたのです。
そして、突然立ち止まる事態となり、少しだけ人間の活動量を減らしたら、何をするよりも地球環境にとって良い結果となったのです。この事実を知ってもなお、元のような世界に戻そうとしている人が多いのは何故なのでしょうか?
「すべてのスポーツは、ある意味で障害者体験なんです。」
サッカーは、手が使えない障害。ラグビーは、後ろにしかパスを出せない障害。バスケは、ドリブルしている間しか動けない障害・・・。不自由を楽しむことがスポーツだとすれば、様々なスポーツの開発と体験を通して、僕たちはもっと他者の不自由を想像できるようになれるかもしれない。p124
健常者にとってはどうってことない状況でも、どこかに障害を持っている人にとっては不自由なことがたくさんあります。この本の中でも、地震でエレベーターが止まった時、健常者は階段で逃げられるけれど、車椅子の人は自力では逃げられなくなるという話がありました。
目が見えない人のことを考えたら、点字ブロックの上に物を置くなんてできないし、ベビーカーを押している人がいたら閉まりかけたドアを押さえようとするものだと思うのですが、そういう想像力がない人が世の中には一定数いるようなのです。
想像力というのはとても大切なものなのに、記憶力ばかりが求められる世の中を、変えていかなければいけないのです。そのためにスポーツが役立つというのは、面白い観点だと思います。
新型コロナによって、これまでの常識が覆されることがたくさんありました。新しいアイデアも出てきました。そして、これからのことを考える時間を与えられました。どうやって未来を変えていくのか、それはわたしたち次第なのです。
2345冊目(今年44冊目)
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