『たたみの部屋の写真展』 朝比奈蓉子
中学に入ったばかりのタモツとユウイチ。ふたりは空き家の庭をかくれ家に決めたが、とつぜん、家主のおばあさんとその娘が帰ってきた。「とおる…、おまえかい?」タモツは認知症であるおばあさんに、亡くなった息子と思いこまれ、夏休みのあいだ、この家に通うことになる―はじめて老いを見つめる少年の、とまどいと成長を描く(書籍紹介 より)
おばあさんの息子は20年も前に亡くなっていて、その頃の息子とタモツくんを混同してしまっているのです。そんなの嫌だと思うタモツくんに、友達のユウイチくんは「そう思い込んでるんだから、おばあさんに合わせてやってくれよ」というのです。
おばあさんには娘がいて一緒に住んでいるのですが、おばあさんは彼女のことを娘だと思っていません。しばらく離れて暮らしているうちに認知症が進んでしまって、自分の子供たちがまだ小学生くらいだと思い込んでしまっていて、この女は何者だ?という扱いをするのです。
認知症って周りから見ると困った症状です。今やらなければならないことができないと悩んでしまいます。でも、本人にとってはそんなことはどうでもいいことなんです。今が消えてしまった代わりに、昔のことはよく思い出します。実家に帰りたがったり、懐かしい人に会いたがったりします。
今のことはすぐに忘れてしまうから、何度も同じことを聞きます。今日の日付はわかりません。いつも診てもらっているお医者さんに毎回「初めまして」と挨拶します。認知症をよくわからない人はそれを気持ち悪いと感じることが多いのです。
そういうものだとわかってしまえば、他人なら割と楽に相手ができます。でも、家族はなかなかそういう境地になれないのです。「あの、しっかりしていたお母さんが」「優しかったお父さんが」と思いがちなのです。
わたしの母が認知症になった初期のころに「わからなくなっていく自分が怖いんだよ」と言っていました。そうですよね、本人が一番困惑しているのです。若いころは「昨日できなかったことが今日できるようになる」ものでした。でも歳とともに「昨日できたことが今日できなくなる」ことが怖いのです。
それを理解してフォローしてあげることが大事なんだということを、タモツくんは少しずつ分かっていきます。核家族が増えて、歳をとるとはどういうことなのかを知らずに過ごしてきてしまったわたしたちは、こういうことを知らなければなりません。いつか自分も通る道だと思いながら。
楽しかったころの思い出が映っている写真を、おばあさんはつい最近のことだと思って見ていたのかもしれません。今はもういなくなってしまった人たちが映っている写真を見て、笑うことができたら、それでいいんですよね。
2360冊目(今年59冊目)
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