『カフェー小品集』 嶽本野ばら
古本市へ行って、見つけたこの本は20年も前に出版されたものでした。でも、野ばらさんの文章を読んで感じることはちっとも変りません。
野ばらさんは、なんと繊細で、なんと正直なのでしょう。相手にとっては傲慢と思われるかもしれない思いを胸に秘め、どう伝えたらいいのかを必死に悩み、ことばを選んでいるうちに相手が去ってしまっても、ずっと相手のことを思い続けるのです。自分が好きな人がどんなことを言おうと、どんなことをしようと、その人を好きだという気持ちの揺るがなさは、永遠なのです。
思い出のカフェーで、二人だけが生きる世界での話はとりとめもなく続きます。二人で一緒にいるということだけで幸せなのだと思える幸せな時間は、大事な思い出として残ります。
感想文の最後に僕がちょろりと本音をつい書いてしまったのがいけなかったのです。「個人的にはこの作品より、『或阿呆の一生』や『歯車』が好みである」。今なら何故に先生が憤ったのかが理解できます。小学生の分際で龍之介の『或阿呆の一生』や『歯車』のほうが『蜘蛛の糸』よりも面白いというのは(それらの作品を読むこと自体)非常に可愛くないのです。おかげで通知簿で国語の成績はテストの点数が良いにも拘わらずさんざんなものだったことを憶えています。(p77 凡庸な君の異常なる才能に就いて)
国語の先生との付き合い方は他の科目とは違うのです。たとえば数学なら1+1は2という答えがはっきりとあります。でも国語だとそうはいかないのです、先生の考え方と合わないと酷いことになります。それは、わたしもそういう目に遭ったことがあるからわかります。きっと野ばらさんは、わかってもらえない生徒だったのでしょうね。そして「こういう人には自分の意見を語ってはいけないのだ」と悟ったのでしょう。
僕は恋愛に関して素人であることを引け目に思う必要などなかったのです。素人には知ろうとしかできない馬鹿正直なやり方がある。僕は不器用ながらも丁寧に自分の気持ちをゆっくりと時間をかけて君に伝えていけばいいのです。(p121 素人仕事の贅沢)
恋愛はいつでも、よくわからないものです。自分は好きでも、相手が自分を好きになってくれるのかはわからないし、好きでもない人から「好きです」と言われてしまうかもしれないし、相思相愛なのにうまくいかないこともあります。告白しようかどうか悩んでいるだけで終わってしまうこともあるし、告白してもダメな時もあるし、黙っていても付き合える時もあります。
好きな人を前にしてグズグズしてしまう気持ちって、恐れなのでしょうか?それとも、その人のそばにいるだけで幸せ感が満ちてしまって、動けなくなってしまうということなのでしょうか?
2427冊目(今年126冊目)
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