『ぼくはただ、物語を書きたかった。』 ラフィク・シャミ
ぼくはようやく族長の世界から解放された。もし亡命しなければ、親しい友人たちがそうだったように、15年から20年、牢獄に入れられたことだろう。あるいは、殺されていただろう。p14
アメリカにいる友人に、ぼくはこんな手紙を出したことがある。自分は故郷を離れたが、故郷の方がぼくから離れてくれないのだ、と。p49
白状するが、ぼくはなんの経験もないまま、亡命生活に突入したのだ。死と同じで、亡命も、練習したり、習い覚えたりすることはできない。ドイツでのあらゆる経験は、いつもぼくにとって「初めて」だった。p83
ラフィク・シャミは1946年にシリアのダマスカスで生まれた作家です。国内では自分が書きたいものが書けないと判断した彼は、1971年にドイツへ亡命しました。
自分の言葉ではないドイツ語での生活、そして文筆活動はどんなに大変なことだったのでしょうか?でも、彼は自分の思いを書き続けたのです。作家として成功した後も、様々な偏見や人種差別と遭遇してしまいます。でも、彼はそれに立ち向かってきました。
酷い言葉を彼に投げつける人たちは、自分がどんなに酷いことを言っているのか理解していないことが多いのです。自分がそう信じているから、ただそれだけの理由でアラブ人はこうであるはずだとか、お前はドイツ語で作品を書く資格はないとか、故国へ帰れ、などと言うのです。
そういう人たちと関わるのがいかに嫌なことか、でも何と言われようと、自分はこうして生きて行くしかないのだとラフィク・シャミは語るのです。
亡命して生きるということは、それだけでも大変なことだらけなのに、こんな酷い目に遭っても、故国で刑務所に入れられたり殺されたりするよりはマシだ、という人生を生きるのは、とてつもないことなのです。亡命してから50年以上、故国への思いはつのるけれど、帰ることができないなんて、つらいです。
ラフィク・シャミというペンネームは「ダマスカスから来た友人」を意味している。彼は世界の読者に、まさに「友人」として、たくさんの物語をプレゼントしてくれた。作品は30以上の言語に翻訳され、受賞した文学賞の数も30を超える。(あとがき より)
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